ミャンマー、最後のフロンティア
ASEANの夜明け アジアハイウエー7000キロルポ(1)
東南アジア諸国連合(ASEAN)10カ国を統合するASEAN共同体が昨年末、発足した。総人口約6億2000万人、域内の国内総生産(GDP)2兆5700億㌦(約310兆円)に及ぶ地域が、一つの経済圏としてだけでなく、政治や安全保障面でも束ねていくことを主眼としている。同地域を縦横に網羅するアジアハイウエーを走りながら、変化の風を追った。(池永達夫、写真も)
夜9時にヤンゴンを出発した夜行バスは深夜1時、タンレ川手前でピタリと止まり微動だにしなくなった。エンジントラブルかといぶかったが、ずらりと並んだ周りの車両もエンジンを切っている。
満天の空に広がる星空が美しい。沿道の田園からは、カエルの大合唱が2月の星空に響きわたる。ミャンマーでは北部以外、2月といえどもカエルは地中で冬眠する必要などない。夜空にスッと眉を引くような流れ星が鮮烈な輝きを見せる。
待つこと1時間、タンレ川手前の検問所が開かれた。一斉に出発する150台近いバスやトラックを含む車両群は、そのままの車間距離を保ち深夜の山道を東に進む。かつてシルクロードの商人たちがキャラバンを組んで中央アジアを越えていったのは、盗賊から財物や命を守るためだった。各個撃破されないよう、隊列を組むことで安全を担保したのだ。
タイ国境に近いミャンマー東部を支配するカレン族は、政府と休戦和平協定を結んだとはいえ、未(いま)だきな臭い地域であることに変わりはない。3年前には、タイ国境のメソットに反政府勢力のロケット弾が落ち、混乱した経緯がある。
こうした不慮のトラブルに巻き込まれないようにキャラバン走行が行われる。やっとつながったミッシングリングの一つタイ西部のメソットからミャンマー南部のモーラミャインまでの道路は昨秋、完成したものの治安状況は未だ完璧とはいえない。午前2時開門の検問所がそれを示唆してくれる。それでも昨秋まで、メソットからモーラミャイン間の道幅が狭く、日替わり一方通行を余儀なくされた不便さを考えると変化の潮目を感じる。
待ち時間の1時間、多くの人は高いびきのままだが、同乗していた僧侶ナンディース氏(30)が一緒にお茶を飲もうと誘ってくれた。
バンコクのチュラロンコン大学に留学しているナンディース氏は、当初、ヤンゴンからバンコクまで飛行機を使っていたが、昨秋開通したこの道を使えば料金は飛行機の3分の1と格安に抑えられる。2車線の道路は物流だけでなく、学識をも運び込む役目を担っている。
なおナンディース氏の専門は経済だ。ネーウイン政権下で鎖国政策に舵(かじ)を切ったミャンマーでは、大学も国際社会から孤立し大きく後れを取った。その後れを取り戻すため、優秀な学生を積極的に留学生として海外に出している。
ナンディース氏もその一人だが、首都ネピドーのお寺の僧侶が、タイの東大といわれるチュラで近代経済を勉強しているというのは驚きだ。
ミャンマーは1960年代まで「東南アジアの優等生」だった。元ミャンマー大使の山口洋一氏は「戦後しばらく、隣国タイの日本人駐在員の買い出し先はラングーンだった」と言うほどミャンマーは開けていた。ラングーン空港は、アジアのハブ空港の一つであり、日本の大丸デパートも当初、タイではなくミャンマーに進出していたほどだ。
しかし現在、国連の「最貧国」に分類されたままだ。一人当たりGDPでもアセアンの中で筆頭のシンガポール5万5000㌦に比べ、最低ラインに近い1270㌦だ。
そのミャンマーが「アジア最後のフロンティア」として脚光を浴び、国を挙げて疾走を始めている。
(池永達夫、写真も)