ベトナム、テトで黄金色の大地に
ASEANの夜明け アジアハイウエー7000キロルポ(7)
ベトナム国境まで走るサバナケット発のバスは午前8時半、出発した。まともなバスがあること自体、20年前を知る記者としては感無量だ。当時は首都ビエンチャンでさえバスターミナルはなかった。そもそもバスそのものが無く、移動手段はトラックの荷台に椅子を置いただけのトラック改造バスだったのだ。しかも、雨季には泥土と化した赤土の道路にタイヤを取られ、乗客はこぞってトラックを押さなくてはならなかった。
サバナケットを出発したローカルバスは、障害物競走のような状況を呈していた。バスの通路には麻袋に入ったキャッサバが50㌢ほどの高さで積まれている。後部には一袋50㌔の砂糖やダース単位の缶コーラも通路に山積みだ。トイレ休憩や食事タイムに乗客は、バスの天井に頭をぶつけないよう腰をかがめながら通路を歩かないといけない。
ラオスのローカルバスは人を運ぶだけではなく、物を運ぶトラックであり、さらに急ぎの郵便物など個別宅配も引き受ける宅急便でもある。配送先は沿線沿いにあるわけではないから、特急便扱いの荷物は前もって携帯で知らせてあるバイクドライバーに手渡しとなる。
竹かごの鶏が暴れたのか、バスの屋根から羽根が風に舞う。
バスが民家の前で止まった。その民家から50㍑入りのポリタンクが運ばれてくる。それを屋根からつるし、ホースを差し込んで口で吸い込む。すばやくそのホースをバスの燃料タンクに差し込む。
屋根からつるす人、ポリタンク固定係にホース係、それに石油代金を払う車掌となんと4人がかりだ。そばを24輪トラックが走り抜ける。ちゃんとしたガソリンスタンドはあるが、車掌によるとこの方が安く上がるからずっとこの方法だという。だが、石油の質から発生するエンジントラブルや火災リスクなどを考慮すると、決して賢い方法とは思えない。
ラオスから東西回廊を使ってベトナムに入った。国境都市ラオバオは十年一昔とはいかず、あまり変わり映えはしない。工業団地の入居もそれほど進んでいない。5頭の牛を竹の棒ではたきながら、牛飼いが広さだけは十分の4車線道路を横切っていく。
変わっていたのは国境にウンカのようにたくさんいた両替商が極端に減少していたことだ。この事情は、ラオス同様、ベトナムでもATM革命が起こり、どこでもいつでも現金を引き出したり、カードからベトナム紙幣ドンに両替できるようになったからだ。とりわけ外国人旅行者にとっては便利なすぐれものだ。ATMが人気なのは、偽札をつかまされるリスクが激減した安全性と、24時使用可能な時間的利便性にある。
国境で驚いたのはかつての両替商が商売変えをしてバナナ売りに転じたと思えるほど、バナナ売りばかりが路上をにぎわしている。ただこれは臨時の商売で、テト(旧正月)に不可欠な黄色の果物が売れ筋として急浮上したためだ。テトには4、50本の房がついたバナナを祭壇に供えたり、金柑やミカンなどの黄金色のかんきつ類も縁起物として尊ばれる。さらに花なら黄色の菊やマリーゴールドも売れ筋だ。こうしてテトはベトナムを黄金色に染め上げる。
(池永達夫、写真も)