ミャンマー、軍が兵舎に帰る日
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ミャンマーの首都ネピドーの僧侶ナンディース氏(30)に、ヤンゴンからネピドー遷都の理由を尋ねた。
満天下の星空が広がるオープンカフェで、1杯200チャット(約20円)のネスカフェを飲みながら、ナンディース氏は「軍政の延命だった」と即答した。ミャンマーは建国以来、軍が政権をリードしてきた。だが国民に人気はない。1988年には民主化運動で国家は揺さぶられ、軍は冷や水を浴びせられる。その時の教訓から、民主化運動を牽引(けんいん)した学生と公務員を引き離すため、ヤンゴンから遷都したというのだ。
「ヤンゴンのデモに公務員が参加できないばかりか、国家の中枢である軍と行政機能を山間地に移すことで、ヤンゴンが騒乱状態になっても政府機能は麻痺(まひ)しない」とナンディース氏は、遷都最大の理由を「治安対策」と断じる。
さらに政府は学生の「下放」政策に打って出る。1988年の民主化運動以後、政府は大学そのものを一時閉鎖する措置に出るが、やがて全国14の管区・州に大学を次々に建設していった。形こそ日本の駅弁大学だが、全国規模での高等教育普及といった気高い理想ゆえではなかった。いわば反政府運動の砦(とりで)と化した2大学を地方に分散化することで、「知の連結」による民主化運動の火種をもみ消そうと努めたのだ。
宗主国だった英国のビルマ管理手法は、分断統治だった。ビルマ国内を民族や宗教で互いに反目させ、英国に反旗を翻させないようにした。軍政も英国の分断統治に見習った格好だ。
そのミャンマーで軍人出身以外の文民大統領が就任するのは1962年のクーデター以来初めてのことだ。NLD(国民民主連盟)が主導する新政権は民主化された新生ミャンマーとして、とりわけ欧米諸国の期待は高い。
だが、皮肉なことにこれから存立が危うくなるのは、本来の民主化勢力なのかもしれない。拙速を戒め、求め過ぎず自制を利かせることが大事だ。
議会制民主主義の政治形態を取るとはいえ、ミャンマーの政治原則は4権分立だ。「司法、立法、行政」に「国軍」が加わる。
とりわけ今もなお、国軍の力は絶大だ。
国軍は国会議員の4分の1の固定枠を持つと同時に、非常事態になれば大統領に代わり国家の全権を掌握する特権を持つ。
その伝家の宝刀を抜くかどうか決めるのが11人のメンバーで構成される「国防治安評議会」だ。この中で軍は国軍司令官が指名できる国防、内務、国境大臣ら6人を掌握している。いわば軍がその気になれば、いつでも非常事態を宣言でき、軍政を敷くことが可能なのだ。
元ミャンマー大使の山口洋一氏は「下手をすると日本の民主党政権になる」と懸念を隠さない。
2009年、民主旋風に乗って総選挙で圧勝した民主党政権は、欠落した統治能力をさらけ出してあっという間に失速していった経緯がある。アウン・サン・スー・チー氏率いるNLD新政権が「安全と自由」を担保しながら「繁栄」へのリーダーシップを発揮する実務能力を示せなければ、日本で自民党政権に回帰したように、伝統的政権担当者であった軍が返り咲く可能性は否定できない。
軍が兵舎に帰る日は、まだまだ遠いと覚悟しないといけない。
(池永達夫、写真も)







