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文鮮明師とゴルバチョフ大統領の単独会談①
次は秘書室長が来て、文鮮明先生御夫妻だけを大統領執務室に案内した。お供をして入ったのは、通訳を担当する著者と郭錠煥(カクチョンファン)世界宣教本部長、AULA会長ホセ・チャベス大使であり、ソ連側はゴルバチョフ大統領と通…
前・元国家元首ら28名とクレムリン宮殿に乗り込む②
「大統領は写真やテレビで拝見するよりもずっと若く見えて、ハンサムでいらっしゃいます」 と文先生が言われると、場内に爆笑が沸き上がり、雰囲気が軽くなって、ゴルバチョフ大統領は「スパッシーバ! スパッシーバ!(ありがとう…
前・元国家元首ら28名とクレムリン宮殿に乗り込む①
単独会談の日になった。4月11日である。明るく晴れた、雲一つない澄んだ天気であった。 朝10時に、文鮮明先生御夫妻はソ連政府が用意したリムジンに乗られ、前の席には私がお供をして乗った。そして、後ろのバス1台には世界各…
ゴルバチョフの生死の鍵は天運に乗るか否か
<前の記事 「彼が私に会わなければ天運に乗る道はなく、天運に乗らなければ彼は生き延びることはできない」 文先生がゴルバチョフ大統領について語られたみ言葉である。 結局、文先生に会うことが彼の生きる道である。そのこと…
共産党幹部が生まれて初めて聞く説教③
これは見事な説教であった。宣言であった。いや、ソ連の上で弾けたみ言葉の原爆であった。このみ言葉を皆が傾聴した。水を打ったように静かであった。み言葉が終わるや否や、全員が感動と驚異に満ちた眼差しで、起立して文先生に拍手を…
共産党幹部が生まれて初めて聞く説教②
親愛なる議長団。尊敬する元国家元首、首相、貴賓、そして紳士淑女の皆様。この歴史的な「第11回世界言論人会議」を皆様とともにソ連の首都、このモスクワで開催できますことを無限の栄光に思うものです。 今回のこの会議の主題は…
共産党幹部が生まれて初めて聞く説教①
1990年4月10日。待ち望んだ第11回世界言論人会議、第3回世界平和のためのサミット評議会、第9回ラテン・アメリカ統一連合国際会議———いわゆるモスクワ大会が開幕する日である。 この日午前、ソビン・センターには当初…
ゴルバチョフが胸襟を開いた2つの理由②
後で知ったところによると、大統領は特に二つのことで文先生の人格を尊敬したという。 第一に、文先生が共産中国に建設中であった「パンダ自動車工業」(広東省恵州市)に対してである。同じ共産国の中国に2億5千万ドルを注いで、…
ゴルバチョフが胸襟を開いた2つの理由①
私はその戦略を随分前から考えていた。それまで数度にわたって、ゴルバチョフ大統領の側近とこの問題を相談してきた。彼らの反応は良く、皆が全面的な協助を約束してくれた。しかしながら、つまるところ誰が最後に猫の首に鈴を付けるの…
文鮮明師、国賓待遇でモスクワ入城②
空港の外には、ソ連政府が用意した外国の国家元首が訪問したときに使用するリムジン車と、それをエスコートする警察の車が勢ぞろいして待機していた。まもなく御夫妻はリムジン車に乗られ、私は同じ車の前の席にお供をして乗った。 …
文鮮明師、国賓待遇でモスクワ入城①
1990年4月8日、この日こそ歴史的な日である。文鮮明師が共産主義宗主国ソ連に入城された日である。 その日午前10時35分、文鮮明師御夫妻一行は米国ニューヨークからパンナム航空でモスクワ空港に到着し、まず空港貴賓室に…
強烈な印象を受けた日本訪問
日本では、統一教会幹部と信徒たちが彼らを手厚く接待した。 九月十五日のことである。東京都内で歓迎晩餐会が行われることになっていた。ところが、予定時刻を30分過ぎても一行は会場に現れなかった。主催者側が心配して時計を見…
ソ連メディアの衝撃の論文「いかにして敵を友とするか?」②
一行は最初に韓国を訪問した。彼らは韓国の発展ぶりを見て、その感嘆を言葉に表現することさえ難しいと言った。特にリトルエンジェルス芸術会館で、清らかな子供たちが喜々として楽しみながら踊り、歌う公演を見て、彼らは久しぶりに本…
ソ連メディアの衝撃の論文「いかにして敵を友とするか?」①
帰国したコビッシュ氏は、約束通り、訪米内容をすべてゴルバチョフ書記長に報告した。おそらく、書記長の反応は好意的であったのだろう。しばらくして、ソ連側の態度の変化を思わせる動きが次々と表面化してきた。 第一に、ソ連の週…
ソ連ジャーナリストが米国へ
モスクワ大会の具体的作業が始まったのは、1989年3月に米国ワシントンDCで開かれた「第10回世界言論人会議」であった。 ここに初めてソ連の言論人代表12名が参加した。これを見て西側世界は非常に驚いた。もっと驚いたこ…
ソ連KGBが狙った3人の暗殺
<前の記事 それでは、文鮮明先生とゴルバチョフ大統領の握手はどうやって実現したのか?ここまで私は長々と、この二人の巨人の宿命的な出会いについて、その背景を説明してきた。文鮮明先生の「頭翼思想」は共産主義ソ連を解放する思…
共産党一党独裁に終止符
ゴルバチョフ革命の決定打は1990年初めに起こった。 ゴルバチョフ書記長の改革の巨弾がまず2月に炸裂した。共産党中央委員会総会が新しい政治綱領案を採択し、ソ連憲法第六条と第七条の改正を決定したのである。その内容は、共…
「ベルリンの壁」が遂に崩れた!②
ルーマニアの展開も劇的であった。チャウシェスク大統領の残忍な長期独裁政治に呻吟(しんぎん)していたルーマニア国民は、連日の大規模集会で独裁者を追い詰めていった。12月22日、大統領夫妻は官邸に押し寄せる群衆に恐れをなし…
「ベルリンの壁」が遂に崩れた!①
ゴルバチョフ改革の最初のテストは1989年8月にやって来た。果たしてソ連は、ソ連改革の評価基準に照らして、改革をどこまで実行するのであろうか? 果たしてブレジネフ・ドクトリンを破棄するだろうか? 共産党一党独裁に終止符…
国際安全保障協議会「セントルイス宣言」の慧眼②
ISCは、このセミナーの終わりに「セントルイス宣言」を発表した。そこには、ソ連の改革を評価する十箇条の物差しが提示されていた。この物差しに合致すればその改革は本物であり、そうでなければ改革は偽物、欺瞞政策であるというこ…
国際安全保障協議会「セントルイス宣言」の慧眼①
1983年のワシントン・タイムズ社長室での出来事である。 ある日、珍しいお客様が訪ねて来た。彼はユダヤ人学者として国際問題、特に国家安全保障問題の最高権威者であった。彼の名前はジョセフ・チャーバ博士(Dr.Josep…
ゴルバチョフの前に「人参」を吊せ
この時、文鮮明先生が登場されたのである。先生の主張は、「どちら側も信じる必要はない。ゴルバチョフの前に人参を吊せ。そして、改革の真実度を計る物差しを明白に設定せよ」というものであった。これはすなわち、”大統…
揺れるブッシュ政権—ゴルバチョフ改革は本物か?
私は先に、文鮮明先生が共産主義の脅威と闘い、宗主国ソ連を解放するためにアメリカに行き、レーガン大統領の誕生に全精力を注ぎ、その後にはワシントン・タイムズを創刊して、ソ連の世界赤化の野望を粉砕するうえで決定的な仕事をされ…


