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平和の天使「リトルエンジェルス(韓国少年少女芸術団)」の公演が、モスクワ大会の閉幕を祝賀した。

大会閉幕と「リトルエンジェルス」文化祝祭①

 4月12日夜、3日間の有意義な討議を終えた三大会議参加者たちが、モスクワ大会開幕のために再び一つの席に集まった。その場所はナターリア・サッツ国立児童音楽劇場であった。1300名以上の参席者と観衆がぎっしりと詰まったこの…

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ソ連大統領執務室での会談に際し握手するゴルバチョフ大統領と文鮮明師、令夫人

奇跡的に撮れた写真

 ここで私は忘れられない逸話を一つ書き残したいと思う。  文鮮明先生がご夫人同伴でソ連大統領執務室に入られたこと、そしてゴルバチョフ大統領がこの歴史的な会談に応じたことは、クレムリンの歴史にかつてない異例中の異例の出来事…

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ゴルバチョフ大統領と握手を交わす韓鶴子女史

「(韓ソ国交樹立に)何の障害もない。盧大統領にも会いたい」②

 文鮮明先生は最後に大統領に、  「何でも私に助けられることがあれば、すぐに知らせてください。私は宗教指導者ですが、今この時点では、大統領を助けることくらい重要なことはないと思います」  と言われた。  大統領は喜色満面…

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1990年6月4日、ゴルバチョフ大統領はサンフランシスコで盧泰愚大統領(在職1988~93)と首脳会談を持った。

「(韓ソ国交樹立に)何の障害もない。盧大統領にも会いたい」①

 文先生は、今度は話題を懸案の政治問題に向けられた。  「私は韓国国民の一人として、大統領が韓国とソ連の友好増進と極東地域の平和安定のために心血を注いでおられることに敬意を表します。韓半島は将来統一される運命にあります。…

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文師の話を熱心に聞いたゴルバチョフ氏

文鮮明師とゴルバチョフ大統領の単独会談③

 「ベルリンの壁の崩壊を許された大統領は、男気あることをなさいました。今後、さらに大きな大統領の決断が必要となることでしょう。ソビエト連邦の各共和国の自由独立を防ごうとなさらないでください。巨大なロシアがあるではありませ…

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ゴルバチョフ大統領は紅潮した顔で、幼い子供のようにうれしそうであった。

文鮮明師とゴルバチョフ大統領の単独会談②

 大統領執務室は豪壮な宮殿の一室というよりは、日々押し寄せてくる山積みされた案件を処理するための機能的な事務室であった。正面に執務用の机があり、その横にソ連旗が立て掛けられ、壁にはレーニンの肖像画が掛かっている。手前には…

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頂上会談の後、秘書室長が来て文鮮明先生御夫妻だけを大統領執務室に案内した。

文鮮明師とゴルバチョフ大統領の単独会談①

 次は秘書室長が来て、文鮮明先生御夫妻だけを大統領執務室に案内した。お供をして入ったのは、通訳を担当する著者と郭錠煥(カクチョンファン)世界宣教本部長、AULA会長ホセ・チャベス大使であり、ソ連側はゴルバチョフ大統領と通…

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白色は、韓民族「白衣族」の象徴であった。

前・元国家元首ら28名とクレムリン宮殿に乗り込む②

 「大統領は写真やテレビで拝見するよりもずっと若く見えて、ハンサムでいらっしゃいます」  と文先生が言われると、場内に爆笑が沸き上がり、雰囲気が軽くなって、ゴルバチョフ大統領は「スパッシーバ! スパッシーバ!(ありがとう…

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クレムリンで会議代表団と会見するゴルバチョフ大統領(右端が文鮮明師ご夫妻)

前・元国家元首ら28名とクレムリン宮殿に乗り込む①

 単独会談の日になった。4月11日である。明るく晴れた、雲一つない澄んだ天気であった。  朝10時に、文鮮明先生御夫妻はソ連政府が用意したリムジンに乗られ、前の席には私がお供をして乗った。そして、後ろのバス1台には世界各…

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グラスノスチ、ペレストロイカがこれほどまでに拡大するとは、ゴルバチョフ自身も想像していなかった。

ゴルバチョフの生死の鍵は天運に乗るか否か

<前の記事  「彼が私に会わなければ天運に乗る道はなく、天運に乗らなければ彼は生き延びることはできない」  文先生がゴルバチョフ大統領について語られたみ言葉である。  結局、文先生に会うことが彼の生きる道である。そのこと…

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文師のメッセージを聞いたソ連側参席者の中には、ソ連の外務次官、ゴルバチョフ大統領顧問、ソ連共産党中央委員会国際部次長、ソ連共産党中央委員会外交政策顧問、ソ連最高会議経済改革委員会副委員長などがいた。

共産党幹部が生まれて初めて聞く説教③

 これは見事な説教であった。宣言であった。いや、ソ連の上で弾けたみ言葉の原爆であった。このみ言葉を皆が傾聴した。水を打ったように静かであった。み言葉が終わるや否や、全員が感動と驚異に満ちた眼差しで、起立して文先生に拍手を…

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第11回世界言論人会議開会式で基調講演を行う文鮮明師

共産党幹部が生まれて初めて聞く説教②

 親愛なる議長団。尊敬する元国家元首、首相、貴賓、そして紳士淑女の皆様。この歴史的な「第11回世界言論人会議」を皆様とともにソ連の首都、このモスクワで開催できますことを無限の栄光に思うものです。  今回のこの会議の主題は…

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第11回世界言論人会議開会式の様子

共産党幹部が生まれて初めて聞く説教①

 1990年4月10日。待ち望んだ第11回世界言論人会議、第3回世界平和のためのサミット評議会、第9回ラテン・アメリカ統一連合国際会議———いわゆるモスクワ大会が開幕する日である。  この日午前、ソビン・センターには当初…

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文師に同行してモスクワに入り、最善を尽くす著者

ゴルバチョフが胸襟を開いた2つの理由②

 後で知ったところによると、大統領は特に二つのことで文先生の人格を尊敬したという。  第一に、文先生が共産中国に建設中であった「パンダ自動車工業」(広東省恵州市)に対してである。同じ共産国の中国に2億5千万ドルを注いで、…

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ゴルバチョフ大統領の真の同志であった、ソ連政治局員兼書記のアレクサンドル・ヤコブレフ氏

ゴルバチョフが胸襟を開いた2つの理由①

 私はその戦略を随分前から考えていた。それまで数度にわたって、ゴルバチョフ大統領の側近とこの問題を相談してきた。彼らの反応は良く、皆が全面的な協助を約束してくれた。しかしながら、つまるところ誰が最後に猫の首に鈴を付けるの…

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モスクワ入城を果たし懇切な祈禱をされる文鮮明師

文鮮明師、国賓待遇でモスクワ入城②

 空港の外には、ソ連政府が用意した外国の国家元首が訪問したときに使用するリムジン車と、それをエスコートする警察の車が勢ぞろいして待機していた。まもなく御夫妻はリムジン車に乗られ、私は同じ車の前の席にお供をして乗った。  …

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1990年4月8日、モスクワ空港での歓迎の後、貴賓室でインタビューを受ける文師ご夫妻。その左はアリベルト・ウラソフ・ノーボスチ通信社社長

文鮮明師、国賓待遇でモスクワ入城①

 1990年4月8日、この日こそ歴史的な日である。文鮮明師が共産主義宗主国ソ連に入城された日である。  その日午前10時35分、文鮮明師御夫妻一行は米国ニューヨークからパンナム航空でモスクワ空港に到着し、まず空港貴賓室に…

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東京都内で行われた歓迎晩餐会で挨拶をした、国営ノーボスチ通信北米部編集長ナタリア・ヤコブレバ女史

強烈な印象を受けた日本訪問

 日本では、統一教会幹部と信徒たちが彼らを手厚く接待した。  九月十五日のことである。東京都内で歓迎晩餐会が行われることになっていた。ところが、予定時刻を30分過ぎても一行は会場に現れなかった。主催者側が心配して時計を見…

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1989年9月上旬、ソウル漢南洞の文師邸宅で令夫人に挨拶する訪問団長のナタリア・ヤコブレバ女史

ソ連メディアの衝撃の論文「いかにして敵を友とするか?」②

 一行は最初に韓国を訪問した。彼らは韓国の発展ぶりを見て、その感嘆を言葉に表現することさえ難しいと言った。特にリトルエンジェルス芸術会館で、清らかな子供たちが喜々として楽しみながら踊り、歌う公演を見て、彼らは久しぶりに本…

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後列左からラリー・モフィット世界言論人協会理事長、「ザ・ルベージョム」副編集局長、ソ連国営テレビ・ラジオ局アンカーマン、ヤコブレバ女史、コビッシュ「イズベスチャ」編集局長、ゴルバチョフ書記長随行主席カメラマン、筆者

ソ連メディアの衝撃の論文「いかにして敵を友とするか?」①

 帰国したコビッシュ氏は、約束通り、訪米内容をすべてゴルバチョフ書記長に報告した。おそらく、書記長の反応は好意的であったのだろう。しばらくして、ソ連側の態度の変化を思わせる動きが次々と表面化してきた。  第一に、ソ連の週…

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ソ連政府機関紙「イズベスチヤ」のヴィタリー・コビッシュ編集局長

ソ連ジャーナリストが米国へ

 モスクワ大会の具体的作業が始まったのは、1989年3月に米国ワシントンDCで開かれた「第10回世界言論人会議」であった。  ここに初めてソ連の言論人代表12名が参加した。これを見て西側世界は非常に驚いた。もっと驚いたこ…

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1988年、日本赤軍派の菊村一味がアメリカに派遣され、文先生の夏別荘を爆破する計画があった。

ソ連KGBが狙った3人の暗殺

<前の記事  それでは、文鮮明先生とゴルバチョフ大統領の握手はどうやって実現したのか?ここまで私は長々と、この二人の巨人の宿命的な出会いについて、その背景を説明してきた。文鮮明先生の「頭翼思想」は共産主義ソ連を解放する思…

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1990年6月1日、軍縮等の合意文書の調印を終え、握手を交わすゴルバチョフ、ブッシュ両大統領(AP/WWP提供)

共産党一党独裁に終止符

 ゴルバチョフ革命の決定打は1990年初めに起こった。  ゴルバチョフ書記長の改革の巨弾がまず2月に炸裂した。共産党中央委員会総会が新しい政治綱領案を採択し、ソ連憲法第六条と第七条の改正を決定したのである。その内容は、共…

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