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ゴルバチョフ氏の韓国訪問①
<前の記事 ソ連解放から4年が過ぎた。1994年3月26日、ミハイル・ゴルバチョフ旧ソ連大統領が初めてソウルを訪問した。彼はまず文鮮明先生の漢南洞公館に出向いて、そこで再会の熱い握手を交換した。 文鮮明先生は約束通り…
静かに消滅した「ソ連帝国」②
このエリツィンのロシアだけでなく、連邦を構成する各共和国が次々と自決権を掲げて独立宣言をしたので、ゴルバチョフ大統領は立つ位置がなくなってしまった。12月1日にウクライナ共和国が独立し、8日にロシア、ベラルーシ、ウクラ…
静かに消滅した「ソ連帝国」①
このクーデターが熱血共産分子たちの策動であったことが明らかにされるや、ゴルパチョフ大統領は兼任していた共産党書記長を辞任し、ここぞとばかりに共産党を解体してしまった。共産党がなくなってしまえば、ソ連は終焉したも同然では…
ゴルバチョフ大統領を襲った危難―八月政変②
この動きに真っ向から異を唱えたのがクーデターを強行した反改革派であった。彼らは強力な連邦体制と共産党独裁体制を破壊されたくなかった。彼らは腐敗した共産主義特有の政治システムを温存しておきたかった。一言で言って、彼らは自…
ゴルバチョフ大統領を襲った危難—八月政変①
天がゴルバチョフ大統領に託した使命は険しく困難なものであった。それは第三次世界大戦という人類破滅の核戦争や熱戦なしに、ソ連共産帝国を終焉に導くという仕事である。 74年もの間、ソ連体制の骨髄にまで染み込んだ共産主義、…
大会閉幕と「リトルエンジェルス」文化祝祭②
リトルエンジェルスの準備した曲は出尽くしてしまった。 ここで司会者が迅速に前に出て、「このたび、文鮮明先生がモスクワにおられる間に結婚30周年記念日を迎えるようになりました」と宣言した。舞台の片側から大きなケーキが引…
大会閉幕と「リトルエンジェルス」文化祝祭①
4月12日夜、3日間の有意義な討議を終えた三大会議参加者たちが、モスクワ大会開幕のために再び一つの席に集まった。その場所はナターリア・サッツ国立児童音楽劇場であった。1300名以上の参席者と観衆がぎっしりと詰まったこの…
奇跡的に撮れた写真
ここで私は忘れられない逸話を一つ書き残したいと思う。 文鮮明先生がご夫人同伴でソ連大統領執務室に入られたこと、そしてゴルバチョフ大統領がこの歴史的な会談に応じたことは、クレムリンの歴史にかつてない異例中の異例の出来事…
「(韓ソ国交樹立に)何の障害もない。盧大統領にも会いたい」②
文鮮明先生は最後に大統領に、 「何でも私に助けられることがあれば、すぐに知らせてください。私は宗教指導者ですが、今この時点では、大統領を助けることくらい重要なことはないと思います」 と言われた。 大統領は喜色満面…
「(韓ソ国交樹立に)何の障害もない。盧大統領にも会いたい」①
文先生は、今度は話題を懸案の政治問題に向けられた。 「私は韓国国民の一人として、大統領が韓国とソ連の友好増進と極東地域の平和安定のために心血を注いでおられることに敬意を表します。韓半島は将来統一される運命にあります。…
文鮮明師とゴルバチョフ大統領の単独会談③
「ベルリンの壁の崩壊を許された大統領は、男気あることをなさいました。今後、さらに大きな大統領の決断が必要となることでしょう。ソビエト連邦の各共和国の自由独立を防ごうとなさらないでください。巨大なロシアがあるではありませ…
文鮮明師とゴルバチョフ大統領の単独会談②
大統領執務室は豪壮な宮殿の一室というよりは、日々押し寄せてくる山積みされた案件を処理するための機能的な事務室であった。正面に執務用の机があり、その横にソ連旗が立て掛けられ、壁にはレーニンの肖像画が掛かっている。手前には…
文鮮明師とゴルバチョフ大統領の単独会談①
次は秘書室長が来て、文鮮明先生御夫妻だけを大統領執務室に案内した。お供をして入ったのは、通訳を担当する著者と郭錠煥(カクチョンファン)世界宣教本部長、AULA会長ホセ・チャベス大使であり、ソ連側はゴルバチョフ大統領と通…
前・元国家元首ら28名とクレムリン宮殿に乗り込む②
「大統領は写真やテレビで拝見するよりもずっと若く見えて、ハンサムでいらっしゃいます」 と文先生が言われると、場内に爆笑が沸き上がり、雰囲気が軽くなって、ゴルバチョフ大統領は「スパッシーバ! スパッシーバ!(ありがとう…
前・元国家元首ら28名とクレムリン宮殿に乗り込む①
単独会談の日になった。4月11日である。明るく晴れた、雲一つない澄んだ天気であった。 朝10時に、文鮮明先生御夫妻はソ連政府が用意したリムジンに乗られ、前の席には私がお供をして乗った。そして、後ろのバス1台には世界各…
ゴルバチョフの生死の鍵は天運に乗るか否か
<前の記事 「彼が私に会わなければ天運に乗る道はなく、天運に乗らなければ彼は生き延びることはできない」 文先生がゴルバチョフ大統領について語られたみ言葉である。 結局、文先生に会うことが彼の生きる道である。そのこと…
共産党幹部が生まれて初めて聞く説教③
これは見事な説教であった。宣言であった。いや、ソ連の上で弾けたみ言葉の原爆であった。このみ言葉を皆が傾聴した。水を打ったように静かであった。み言葉が終わるや否や、全員が感動と驚異に満ちた眼差しで、起立して文先生に拍手を…
共産党幹部が生まれて初めて聞く説教②
親愛なる議長団。尊敬する元国家元首、首相、貴賓、そして紳士淑女の皆様。この歴史的な「第11回世界言論人会議」を皆様とともにソ連の首都、このモスクワで開催できますことを無限の栄光に思うものです。 今回のこの会議の主題は…
共産党幹部が生まれて初めて聞く説教①
1990年4月10日。待ち望んだ第11回世界言論人会議、第3回世界平和のためのサミット評議会、第9回ラテン・アメリカ統一連合国際会議———いわゆるモスクワ大会が開幕する日である。 この日午前、ソビン・センターには当初…
ゴルバチョフが胸襟を開いた2つの理由②
後で知ったところによると、大統領は特に二つのことで文先生の人格を尊敬したという。 第一に、文先生が共産中国に建設中であった「パンダ自動車工業」(広東省恵州市)に対してである。同じ共産国の中国に2億5千万ドルを注いで、…
ゴルバチョフが胸襟を開いた2つの理由①
私はその戦略を随分前から考えていた。それまで数度にわたって、ゴルバチョフ大統領の側近とこの問題を相談してきた。彼らの反応は良く、皆が全面的な協助を約束してくれた。しかしながら、つまるところ誰が最後に猫の首に鈴を付けるの…
文鮮明師、国賓待遇でモスクワ入城②
空港の外には、ソ連政府が用意した外国の国家元首が訪問したときに使用するリムジン車と、それをエスコートする警察の車が勢ぞろいして待機していた。まもなく御夫妻はリムジン車に乗られ、私は同じ車の前の席にお供をして乗った。 …
文鮮明師、国賓待遇でモスクワ入城①
1990年4月8日、この日こそ歴史的な日である。文鮮明師が共産主義宗主国ソ連に入城された日である。 その日午前10時35分、文鮮明師御夫妻一行は米国ニューヨークからパンナム航空でモスクワ空港に到着し、まず空港貴賓室に…


