エピローグ、課題は国家エゴの克服

ASEANの夜明け アジアハイウエー7000キロルポ(11)

 東南アジアを旅すると元気が出る。町中が建築現場のような活力や、子供が多く笑顔が絶えない路地裏があるのも一因だが、それだけではない。一番の理由は血縁や地域の絆を中心として共同体が機能しているからだろうと思う。親族にしろ隣近所にしろ、相互に助け合って生きている。

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 バンコクにも路上生活者はいるのだが、その数は日本ほど多くはない。生活に困れば、親族の家に駆け込み、しばらく世話になる。そうした居候を、自立できない厄介者と見るか、再び社会に送り出すためのシェルターと見るかケース・バイ・ケースが実態だろうが、困った人に優しい仏教的慈悲の美学が生きている社会であることは事実だ。わが国は家が狭くて物理的許容スペースがないという事情もあるが、狭いのは家ではなく要は心が狭いだけの話だ。

 今年の世界経済はチャイナリスクがポイントとなる。国家資本主義の中国経済は意外と傷が深いかもしれない。政治改革が問われているのに、それを怠った付けが回っているからだ。中国との貿易依存度が30%を超える台湾や韓国は、そのあおりをもろに受けている。一方、対中貿易依存度がその半分以下の東南アジア諸国連合(ASEAN)の経済は、まだまだ活力に満ちている。またASEANは、欧州連合(EU)のユーロのような共同通貨を選択する気は全く無い。その分、各国は経済が下降局面になれば、自国通貨価値が低落することになり、そのことで逆に観光客が増加して経済を持ち上げるバネになり経済の復元力が働く。

 そのASEAN10カ国を統合するASEAN共同体が昨年末、発足した。域内の国内総生産(GDP)2兆5700億㌦(約310兆円)に及ぶ地域が、一つの経済圏としてだけでなく、政治や安全保障面、さらには文化・社会面でも絆を深めていこうとしている。だが正直、共同体としてフル稼働するにはまだまだ時間が必要だ。

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メコン川沿いの土手に翻るASEAN10カ国の旗=ビエンチャン

 東南アジア最大の工業国タイとミャンマーの国境メソットに行くと、モエイ川沿いのタイ領土内にミャンマー人ワーカーを低賃金で使っている多くの工場が集積している。これではAECが謳(うた)う「単一市場・単一生産拠点」とは名ばかりで、ASEAN全体への生産拠点拡散にブレーキがかかったままだ。

 またベトナム政府は、地元自動車部品メーカーや外資系自動車産業保護を目的として、輸入車購入時に消費者が支払う税率を引き上げる方針だ。東南アジアの自動車生産トップ2であるタイ、インドネシアから押し寄せる輸入車に向けた障壁とするためだ。

 マレーシアは、多数派のマレー系住民優遇策である「ブミプトラ(土地の子)政策」を変えるつもりはなく、スーパーやコンビニの陳列棚の最低30%はマレー系企業からの商品仕入れを義務付けたままだ。AECが謳うASEAN全体を「単一市場・単一生産拠点」にするという理想に対しては、総論で賛成しながら、各論で反旗を翻す国家エゴから脱却するにはASEAN全体の利益と各国の利益が一致するようにする一工夫が必要だ。

 だが、ASEANの共同資産であるアジアの心、他人の痛みを自分のこととして捉えられる心があれば、国家エゴを乗り越えられるはずだ。モノだけではなく相互の心が通ってこそ、名実共のASEAN共同体が誕生する。

(池永達夫、写真も)

=終わり=