児童が手作り、カルタで古里の記憶つなぐ
福島県浪江町で、仮設暮らしの避難者を笑顔に
福島第一原発事故で、二本松市に仮校舎を置く福島県双葉郡浪江町の浪江小と津島小の児童が昨年12月、古里の記憶をつないでいこうと「なみえっ子カルタ」を作った。浪江小が平成24年度から取り組む「ふるさとなみえ科」の授業のまとめとして完成させたもので、仮設住宅暮らしの避難者らを元気づけている。(市原幸彦)
「ふるさとなみえ科」で人間育成
「安波祭(あんばまつり)心が集まるたるみこし」「くじ引きで毎年当てた十日市」「三匹獅子津島にひびく太鼓の音」など、カルタは町の伝統文化や自然を題材にした。絵や文章は教師や絵本作家の指導を受けながら、子供たち自らが描き、書いた。
「ふるさとなみえ科」の成果物として毎年、新聞のほかにカルタを作りためてきたが昨年、福島大学の福島めばえ助成金を受け、先輩たちの作品も選定しながら、初めて50音順のカルタとして作り直した。
浪江小の遠藤和雄校長は「一緒にカルタ取りをした仮設住宅など訪問先では、子供たちの手作りのカルタを実際に見て、元気になったり、笑顔になれるということが実現でき、子供たちにとても励みになりました」と語る。
300セット印刷し、100セットを町に寄贈し、仮設住宅などに贈ってもらった。残り200セットは、これまで支援してくれている各地の団体、卒業生、移動した先生に贈った。また浪江町は、広報紙と一緒に「なみえっ子カルタ」を印刷したクリアファイル(A4版・両面の2㌻)を全世帯に配布した。
震災前の22年度、浪江町では六つの小学校に合わせて約1160人が在籍していた。現在は浪江小で12人、津島小で3人が学んでいるが、他の多くは避難先の学校に移った。
「自然豊かな浪江町の美しい風景や文化など、どのくらい子供たちの心の中に残っていくのか。これからの浪江小のありようそのものが、町の復興と大いに関わっていくものと思われます」と遠藤校長。今後、全国に避難している子供たちとも交流を進める考えだ。
他県校との交流も進めている。先月末、東京都多摩市の瓜生(うりゅう)小学校の6年生らと和太鼓による交流コンサートを行った。今月11日には、カルタの送り先の団体の一つで、支援を続けてくれている滋賀県米原市の近江公民館に来ている学童保育の子供たちが、早速、米原のカルタを作って届けてくれた。
その中には「『復興を願っている』『福島に旅行したい』など、復興を支援するような札も入っていました」。この日、浪江小・津島小の子供たちが学校で米原のカルタで遊んだ。
ふるさとなみえ科は、郷土を愛する心を育み、未来を創造的に生き抜くたくましい人間の育成を目指す。教師らの「古里を忘れないでほしい」との思いから、地域の人々の協力のもとで始められた。
カルタや新聞作りのほか、伝統工芸である大堀(おおぼり)相馬焼などを体験。あらゆる角度から町の未来を考える「未来のふるさと・なみえを考えよう発表会」を開いたり、内容はさまざまだ。お世話になっている二本松の伝統文化である和紙づくりや和菓子づくりも学んでいる。
双葉郡や飯舘村の小中高校は26年度から、伝統文化や特産物を調べる探究的な学習活動「ふるさと創造学」を始めており、年に一度、各校の児童・生徒が避難先から集まって、成果発表会「ふるさと創造学サミット」を開いている。
2年目の昨年12月は郡山市で開かれた。参席した文部科学省の視察官は「格段に質が高まり、子供たちに力が付いてきていると実感した」(広報紙「ふたばの教育」2016春号)と評価。浪江・津島小(5年生)は浪江町をレゲエ調のオリジナルソングに乗せて紹介した。
ただ、震災から5年がたち、それぞれが新しい環境と学校で歩きだしており、浪江小では今年卒業する6年生だけが震災当時の在校生で、年々、子供の数も減少していることが大きな課題だ。
遠藤校長は「伝統を守っていくという大人の課題や悩み、将来の展望をどう一緒に考えていくか、非常に重要な学習になっている。そこを大切にしてこの学習をより充実させていきたい」。さらに「小さい学校ではあるが、浪江のことを学ぶ学校はここだけしかない。小さい学校の可能性と、大きな感動づくりに取り組んでいきたい」と意欲をみせている。