高校教科書、国は「偏向」是正に責任持て
かつて教科書にこんな記述が数多くあった。
――沖縄戦での「集団自決」は事実に基づかないのに「軍命による強制」。ソ連の満州侵攻は「進出」。北朝鮮の韓国への武力侵攻は「戦争が勃発した」。スターリンの人権弾圧には触れず「農業の共同化が進められた」――。
歴史上の事実よりもイデオロギーを優先させ、ことさら日本を貶(おとし)めようとして「偏向教科書」と呼ばれた。こうした「偏向」の悪弊は断ち切れただろうか。
「同性結婚式」の写真も
文部科学省は来年4月から使用する高校教科書の検定結果を公表した。領土教育の充実を求めた国の指針を受け、尖閣諸島や竹島などに関する記述量は現行の教科書から約6割増えた。その一方で、「固有の領土」と書かなかった教科書があった。
「慰安婦」問題では強制連行したとする「吉田証言」を朝日新聞が虚偽と認めたことを受け見直しが進んだが、相変わらず「強制」を印象付ける記述が残った。南京事件では中国のプロパガンダの「20万人虐殺」と記し、修正された教科書があった。安全保障関連法をめぐる記述で、修正前に「日本が世界のどこでも戦争ができる国になるかも」との反対派の主張をなぞったものもあった。
家庭科では同性愛者などの「性的少数者」や「多様な家族」を取り上げ、女性同士の「結婚式」の写真を載せている。憲法が結婚を「両性の合意」に基づくとし、同性婚を認めていないのに、違憲を奨励するかのような記述だ。これが検定を通ったのは驚きだ。
こうした検定の経緯や作成された教科書を見ると、偏向の悪弊が断ち切れたとは言い難い。厳しく検定しなければ、偏向教科書がまかり通る実態を改めて浮き彫りにした。
一部メディアや野党は、検定が「教科書の自主性や多様性を損なう」と批判し、自由な教科書作りを唱えている。こうした人々が持ち出すのが家永訴訟だ。
1960年、家永三郎東京教育大学教授が執筆した高校日本史が検定で不合格となったため、国の検定制度は教育の自由や学問の自由を侵害しているとして国に賠償を求めた。3次にわたって最高裁まで争われたが、いずれも退けられた。
最高裁は、議会制民主主義下の公教育は国が国民の付託に基づき、学校教育法など法令によって行われている、検定もその一つで、教育の自由を侵害するものではないとの見解を支持し、検定を合憲とした。
国の教育権については「国は必要かつ相当と認められる範囲において、教育内容についてもこれを決定する権能を有する」(旭川学力テスト上告審判決、76年)とされた。それにもかかわらず国の教育権を否定し、自主性を口実に偏向教科書を正当化する態度に説得力はない。
検定の在り方議論を
今回の検定では「政府見解や最高裁判例に基づく記述」「通説がない場合はそのことの明示」を求めた新検定基準が高校で初めて適用されたが、記述内容などに6601件の検定意見が付いた。従来の検定制度のままでいいのか、その在り方について論議を本格化させる時だ。