家庭教育支援法の制定急げ

麗澤大学大学院特任教授 高橋 史朗

虐待の根因は「親性崩壊」
懲戒権規定の見直しは慎重に

高橋 史朗麗澤大学大学院特任教授 高橋 史朗[/caption]

 千葉県野田市の小4女児虐待死事件を契機に児童福祉法と児童虐待防止法の改正案に体罰禁止を盛り込み、民法の懲戒権規定を見直すことが検討されているが、虐待の根因は「親性の崩壊」にあり、「親になるための学び」「親としての学び」「親育ち」を支援する家庭教育支援法の制定と児童虐待罪の新設が急務だ。

 ちなみに、大阪医科大学の佐々木綾子教授の脳科学の研究調査によって、育児経験のない男女が乳幼児と触れ合う体験を通して「親性」が育つことが実証されており、虐待や体罰が子供の脳に悪影響を与えることも脳画像技術の進歩により立証されている。

 厚生労働省の虐待死事例の調査報告によれば、加害動機の内訳は、「保護を怠ったことによる死亡」105人、「しつけのつもり」85人、「子供の存在の拒否・否定」72人、「泣き止(や)まないことにいらだったため」60人、と報告されている。

 脳の発達が急速過ぎるために生後20カ月まで「むずかり期」が続くという科学的知見に基づく情報を「親の学び」として伝えれば、「母親失格」と自分を責めているママたちを子育て不安から解放することができる。「子育てがつらいのはあなたのせいではありません」というメッセージが育児ストレスを緩和するからである。

 躾(しつけ)と虐待の違いを教える保護者支援も必要不可欠である。こうした保護者支援ができる専門職と「親育ち」支援プログラムこそが求められているのである。保護者の内縁者や保育士など保護者以外による体罰が少なくない点も見過ごされている。児童虐待防止法は保護者による虐待を禁止しているが、虐待防止や体罰禁止の対象を保護者に限定すべきではない。

 ところで、学校教育法第11条は、「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない」と定めている。一方、民法は第822条で親権者は必要な範囲で子を懲戒できると規定し、児童福祉法第47条は、児童福祉施設の施設長に、民法の懲戒権規定に基づく懲戒権を付与し、同第9条において体罰等懲戒に関わる権限の乱用禁止規定を設けている。

 日本政府の報告書によれば、民法第822条は、親権者が、子の監護上、子の非行や過誤を矯正し、これを善導するために必要かつ相当な範囲内で、子を懲戒することを認めたものであり、体罰とは異なる概念である。児童の権利条約は、「あらゆる形態の身体的若しくは精神的な暴力、傷害若しくは虐待、放置若しくは怠慢な取扱い、不当な取扱い又は搾取(性的虐待を含む)」からの保護を規定し、国連の児童の権利委員会は日本政府に対して繰り返し体罰等の法的全面禁止を求めている。

 この問題については、何が子供の「最善の利益」になるかを最優先に考える必要がある。児童の権利条約第5条は、「児童がこの条約において認められる権利を行使するに当たり、父母若しくは…児童の発達しつつある能力に適合する方法で適当な指示及び指導を与える責任、権利及び義務を尊重する」と定めている点を見落としてはならない。

 ドイツ政府は同条約の批准議案書で、「児童の権利」を「保護を受ける法的地位」というオーソドックスな枠組みで受け止めることによって、「自律による保護の解体」の潮流が国内法に波及することに歯止めをかけたが、懲戒権規定の見直しに当たって同様の配慮が必要である。

 お茶の水女子大学の森隆夫名誉教授は、「学校というのは、子供の自律化を目標としながら、他律によって指導するという逆説的な組織である」と指摘したが、子供にとって何が「最善の利益」になるかについては、深い洞察が必要である。目先の利益を追求する「人権」保障よりも、目先の利益を否定し抑制し得る「人格」を育成することの方が、長い目で見れば子供の「最善の利益」につながることを忘れてはならない。

 本人にとって利益であることをもって行為の自由に干渉することを正当化する「父権主義」を「パターナリズム」という。この父権主義が本人の利益という際どい一線を越えて度を過ぎると、子供の自律性を阻害する過干渉となる。躾の名の下に行われる虐待や体罰が「児童の最善の利益」につながらないことは脳画像の研究調査からも明白である。

 学校の休み時間に女子児童を蹴っていた男児らを教員が注意して職員室に戻ろうとしたところ、男児に尻を蹴られたので、教員が男児の胸元をつかんで壁に押し付け、「もう、すんなよ」と叱った行為を、学校教育法第11条違反として、男児の保護者が訴えた事件に対して、最高裁判決は平成21年4月28日、「男児の胸元をつかんだ行為は、許される教育的指導の範囲を逸脱せず、体罰には当たらない」と判断した。懲戒権規定の見直しに当たっては、こうした点を十分に踏まえて慎重に議論を尽くす必要があろう。

 たかはし・しろう