平成から令和の沖縄へ 「天皇に好感」県民の9割に

《 沖 縄 時 評 》

寄り添われ続けた40余年 県民意識大きく変化

平成から令和の沖縄へ 「天皇に好感」県民の9割に

上皇、上皇后両陛下は国立沖縄戦没者墓苑で供花を終え、県平和祈念財団の関係者らに声を掛けられた=平成30年3月27日、沖縄県糸満市

 平成が終わりを告げ、令和の御代(みよ)が始まった。4月末、天皇、皇后両陛下への感謝の念は全国を包み、各地で「令和ブーム」を呼び起こした。沖縄においても同様だった。

 地元紙は日ごろ、日本を外国のように「日本政府」と書くこともあるが、沖縄タイムス4月30日付には「『苦難の歴史に向き合ってくださった』。激しい地上戦で20万人超が犠牲となり、今も基地問題で揺れる沖縄県では29日、慰霊などで何度も訪問した天皇、皇后両陛下への感謝が広がった」と伝えている。

 令和がスタートし上皇、上皇后となられた両陛下は皇太子時代に5回、平成の30年間に6回の計11回、沖縄を御訪問された。印象深いのは本土復帰から3年、戦後30年の昭和50(1975)年7月、沖縄海洋博覧会での御訪問だろう。

 県内では左翼勢力が抗議行動を起こし、糸満市の「ひめゆりの塔」では献花直後に過激派から火炎瓶を投げ付けられた。その際、「この地に心を寄せ続けていく」と表明され、実際その後10回にわたって来沖され、県民の心を引き寄せられた。

 このことを沖縄タイムス4月30日付の1面トップ記事で改めて確認させられた。「天皇陛下に『好感』87% 在位30年で大幅上昇」と報じていたからだ。同紙が4月27、28日の両日に行った県民意識調査(電話、1019人回答)では、天皇陛下の印象は「好感が持てる」が87・7%に上り、「好感が持てない」の1・8%を大幅に上回った。

 即位から約1カ月後の1989年2月調査では、新天皇に「親しみを感じる」は53・0%だったが、在位中に好感度が飛躍的に上昇したと同紙は伝えている。「好感が持てない」の1・8%という低さは格別の感がする。

 琉球新報は本土復帰30年の節目の年を前に平成13年から5年ごとに県民意識調査を行っており、その中に「天皇・皇室に親しみを持っていますか」の質問がある。同調査では「親しみを持っていない」が13年33・3%、18年38・6%と上昇し、23年には41・7%にも上り、「親しみを持っている」の40・5%を初めて上回った。

 23年と言えば、東日本大震災が発生した年で、調査は同年11月のこと。震災後の天皇陛下のビデオメッセージ、そして被災地御訪問で、皇室への好感度は全国的に高まったが、沖縄ではそうならなかった。

 それから5年を経た28年調査では「持っている」は40・8%とほぼ同じだったが、「持っていない」は36・2%へと減り、再び逆転した。それでも県民の3人に1人が親しみを持っておらず、少なからず保守層を嘆息させた。

 それが今回の沖縄タイムスの調査で「持っていない」が1・8%と、文字通り激減したのである。平成から令和への御代替わりブームのせいだろうか。沖縄タイムスと琉球新報に「お祝い紙面」がなかったから、少なくとも地元紙の影響でないことだけは確かである。

 当の沖縄タイムスはどう見ているのか。30日付社説「天皇陛下きょう退位 沖縄の苦難に寄り添う」は、「被災地を訪ね、ひざをついて被災者を励ます姿は、悲しみや憂いを共有する思いがにじみ出ていて、忘れがたい印象を残した。『好感が持てる』と答えた人が9割近くもいたということは、こうした行動の全体が評価されているとみるべきだろう」と述べている。上皇陛下が44年にわたって沖縄に寄り添われ、それへの県民の感謝の気持ちが「好感9割」の数字に表れたと言えよう。

◆自民善戦だった補選

 さて、ここから安倍晋三政権は学ばねばならない。ドイツの社会学者マックス・ウェーバーは「政治とは情熱と判断力の2つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫く作業」と述べている(『職業としての政治』)。米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設もかくあらねばならない。

 さる4月21日に行われた衆院補選沖縄3区(名護市を含む)では反辺野古派の屋良朝博氏が7万7156票を獲得し、自民党公認の島尻安伊子氏(5万9428票)を退けた。補選は玉城デニー氏の県知事選出馬に伴うもので、屋良陣営は「反辺野古の圧倒的民意を示す」と位置付け、勝ったものの「圧勝ならず」(沖縄タイムス4月23日付)だった。

 島尻氏は自民候補として初めて「移設容認」を掲げたことで完膚なきまで敗北を喫すれば、辺野古移設の芽を摘み取られかねなかった。ところが、島尻氏の惜敗率(当選者との票差の比率)は77%。玉城氏が勝利した26年総選挙と29年総選挙はいずれも66%台で、それより10%以上も高かった。この惜敗率は次の本選での比例復活の芽を残し、辺野古移設の支障にならないだろう。

 名護市の投票結果を見ると、辺野古移設の賛否を問うた2月の県民投票(投票率50・48%)では、反対1万8077票(72・7%)、賛成4456票(17・9%)、どちらでもない2216票(8・9%)で、反対は7割を超えた。だが、補選(同45・64%)では屋良氏の1万2497票(54・8%)に対して、島尻氏は1万109票(44・3%)と大きく票・率を伸ばした(%は投票総数の割合)。明らかに善戦だ。辺野古移設の世論づくりはもう一押しだ。

◆移設実現で課題解決

 前記の沖縄タイムスの県民意識調査では平成30年間で解決しなかった点を聞いたところ、最多は「基地問題」(57・9%)だった。令和の最大の課題だろう。

 県は昨年8月末、辺野古沿岸部で見つかった軟弱地盤やサンゴなど環境保全対策の不備を問題視し、埋め立て承認を撤回した。これに対して沖縄防衛局は行政不服審査法に基づく審査を請求。石井啓一国土交通相は4月5日、県の処分を取り消し、移設工事を進める障害がなくなった。

 移設によって米軍基地の縮小・再編が進み、沖縄の負担は大きく減じる。普天間返還後の跡地に一大再開発ビジョンが実現し、北部地域は辺野古移設を契機に地域経済が活性化する。これこそ厳しい国際安保環境に備え、かつ沖縄の課題を解決する一挙両全の策だ。

 令和にその姿を見たい。むろんそれには長い年月を要する。だが、上皇陛下の40余年にわたる「沖縄への旅」を想起すれば、やればできるとの確信が湧いてこよう。

 増 記代司