ガニ流脱国は最悪、世界の権力者の亡命事情
アフガニスタンでは、脱出を望む群衆があふれるカブール空港の入り口で大自爆テロが起きるなど、大混乱が続く。自分だけ先に脱出、亡命したガニ大統領の行動は最悪だとの思いが募る。
ガニ氏はタリバンが首都に迫った14日のテレビ演説で、「私は過去20年の成果を放り出さない。内外の協議を続けている」と言って、翌15日に逃げた。国民にウソをつき、空港への殺到を遅らせ、ガニ一家の脱出も容易になった。
脱出の悪質度は、1950年の朝鮮戦争で、北朝鮮軍がソウルに迫った時の李承晩・韓国大統領に次ぐだろう。李氏は「市民は落ち着いていてよい」と放送し、自分はすぐ南へ脱出し、軍に首都から南への唯一の脱出口、漢江大橋を、橋上にいた市民数百人もろとも爆破させたという。
脱出→亡命を試みて捕まった89年のルーマニアのチャウシェスク大統領、96年のアフガンのナジブラ元大統領らの最期は惨めだったが、泰然と最期を迎えた人もいる。75年、カンボジア内戦でポル・ポト派が首都を囲む中、ロン・ノル大統領は100万㌦を懐に米国に亡命した。副首相を務めたシリク・マタク殿下も敵側から「祖国の裏切り者の一人。死刑にする」と予告されていたから、米大使から脱出を勧められた。だが断った。「臆病な逃げ方は嫌だ」
首都陥落の日、彼は多数の外国人や市民と仏大使館に避難していた。ポル・ポト派が来て仏副領事に「裏切り者がいたら出せ。出したら外国人の扱いを話し合える」と告げた。マタク氏は即OKした。日頃陰謀家と言われていた人物が潔く胸を張って出て行き、居合わせた人々に感銘を与えた。
第2次大戦後、世界で180人前後の国王、大統領、首相らが権力の座を追われ亡命した。多くは財産を抱え大邸宅に住む。でも亡命が長びくにつれ経済的に厳しくなる。耐えられない者もいた。
例えば86年に亡命先のフランスから突然帰国した中央アフリカ初代皇帝のボカサ氏。国の年間予算の倍も投じたナポレオン風超豪華戴冠式や、反政府派をライオンに食べさせる残忍さで悪名を馳(は)せた人物だ。
パリ駐在記者だった私は、その出発直後、彼が全54人中の15人の子供と住んでいたパリ西郊の町を訪れた。彼の城館は広大だったが、現金収入は元仏軍兵士の年金だけ。子供3人がスーパーで盗みをして児童施設に収容された。住民は「去ってせいせいしたよ」と言った。彼は帰国後死刑を宣告されたが93年に釈放された。
市民との共住は難しい。イランのホメイニ革命の初代大統領だがホメイニ師独裁に反対、フランスに亡命したバニサドル氏には、ベルサイユの自宅でインタビューした。以前の住居が学校に隣接し、テロの巻き添えを恐れた住民に抗議され、仏教育省提供の巨大屋敷に移った。だが古く荒れ放題。「私は所持金ゼロで亡命した唯一の国家元首なのに、修繕費が大変だよ」とぼやいていた。でも彼は今もフランスにいる。
リベリアのテーラー元大統領(シエラレオネ内戦の戦争犯罪で亡命先で拘束され、国際法廷で50年の刑)、ペルーのフジモリ元大統領(強制送還され、在任中殺人を命じた罪で25年の刑)、ガルシア元大統領(帰国後、再び大統領になったが後に自殺)ら波乱続きの亡命者もいるが、静かに余生を過ごす者が多い。だが別の恐怖の独裁者、アミン元ウガンダ大統領ら7人の亡命元権力者と会見したイタリア人作家によれば「悔悟など誰もしていない。周囲に裏切られた、大国に使い捨てられたという苦い気持ちばかり持ち続けている」。
ガニ氏もそれを持ち続けるだろう。
(元嘉悦大学教授)