東京五輪で期待したい、難民希望と難民選手団の活躍

yamada

 

 東京五輪・パラリンピックが近づき、二つの点で「難民」が気になっている。

 一点目は、この五輪で難民(亡命)希望者が出るか出ないか、どれだけ出るかだ。

 第2次大戦後、1956年のメルボルン五輪で、ソ連軍に蜂起を鎮圧されたハンガリーの選手ら61人が亡命を求めて以来、多くの五輪、国際競技大会で難民希望が続出してきた。

 08年の北京五輪は、逆に治安維持のため中国内にいた一部難民が国外追放されたが、12年のロンドンでは選手、役員ら82人が難民を希望した。16年のリオ五輪では、男子マラソン2位のエチオピア選手が、自国政権の民族弾圧に抗議し頭上で両手を交差してゴールし、話題になった。彼は米国に亡命したが、2年後の政権交代で帰国できた。

 18年にオーストラリアで開かれた英連邦競技大会は、約230人が難民申請するという記録を作った。

 東京五輪は、専制主義国が一層強権化し、自由、専制両陣営の対決が激化する中で開かれる。日本はアジアで自由・民主・人権・開放の旗手をもって任じている。今回、中露はともかく香港、ミャンマー、ベラルーシ、イラン、シリア、アフガニスタン、ベネズエラなどなどの選手や関係者から難民申請が出て全く不思議はない。

 難民希望者が沢山出てほしいと言えば批判も招くだろう。だが、いま日本への難民希望がゼロだったら、寂しすぎる。だいたい、日本は旗手でも旗の上げ方が低い。中国の人権侵害非難の国会決議もできず、「ウイグル人強制労働」への対応で企業が批判され、制裁は遠慮して「粘り強い説得」を掲げるが、効果は上がらない。これでは日本が掲げる旗は半旗の様で、支援を求める者は意気消沈してしまうのではないか。

 先のミャンマーのサッカー選手の造反は内外に大きく報じられた。運動選手の亡命はインパクトがある。だから五輪で日本を頼る者が少なからず出て、日本がそれにしっかり対応し、間違いなく旗手であることを改めてアピールできればよいと思うのだ。

 二点目は、難民選手団の活躍への期待である。難民選手の五輪参加は、リオが初めてで10人だけ。今回は29人。パラリンピックもリオの2人から6人に。人数的には一人前の選手団に成長した。

 女子テコンドーのキミア・アリザデは、難民選手初のメダル獲得が期待される。リオでイランの女子五輪メダリスト第1号(銅)となり、国民のヒロインとなった。次は金メダルと期待された選手がその後、政権の「偽善、ウソ、不正」を批判し亡命した。そんな選手が本当に金メダルを得たら、イラン国内にどんな心理的影響をもたらすだろうか。

 女子自転車のマソマ・アリ・ザダはアフガニスタンの自転車大好き少女だった。「女は自転車など乗るな」という過激派勢力タリバンの圧力が身に迫るのを感じ、5年前国を逃れた。同国では今、タリバン政権再来の可能性が懸念されている。

 パラリンピック陸上男子円盤投げのシャハラッド・ナサジプールは、イランから米国に亡命を求めた数カ月後の16年春、「リオ五輪に難民選手団が初参加する」と聞いた。矢も楯(たて)もたまらず国際パラリンピック委に「ぜひパラ難民選手団も作って」と訴え始めた。「予定なし」と断られてもしつこくメールを送り続け、その熱意を実らせたのだ。

 自由な生活への抑圧に抵抗し、スポーツで挑戦する難民選手団。東京で“味噌(みそ)っかす”を脱して活躍し、メダル獲得や入賞もしてほしい。日本人がそれを応援し、難民への関心を強めてほしい。それによっても旗は少し高くなるかもしれない。

(元嘉悦大学教授)