カブールとサイゴン 元協力者救出が重大な勝負だ
アフガニスタンが反政府勢力タリバンに征服された。今年4月、バイデン米大統領が撤退予定を発表するとすぐ、元米軍通訳らが「帰らないで。ベトナム戦争の二の舞い(敵側勝利と大混乱)になる」と訴えたが、訴え通りになってしまった。私も、ベトナム戦争、カンボジア内戦、ソ連のアフガン戦争などの終末を思い出さずにいられない。そして問題は、米・外国の軍、政府機関、団体に直接協力したアフガン人の救出、脱出難民の受け入れがどれだけできるか。それが米国の名誉と威信にとっても、自由民主主義の今後の闘いにとっても、重大な勝負だと思う。
昨年、トランプ前米政権とタリバンが大雑把な和平合意に調印したが、ずっと精緻な1973年のベトナム和平パリ協定でも、89年のソ連軍のアフガン撤退合意でも、戦闘は止(や)まなかった。ただ今回は撤退完了前の政権急崩壊。米国も甘く見られたものだが、ブリンケン米国務長官が愚痴っているように、アフガン政府軍はあまりにも「父よ、あなたは弱かった」。
政府軍の弱体ぶりは、ベトナム戦争の傍らのカンボジア内戦でポル・ポト派に負けたロン・ノル政権軍に類似している。将校らが腐敗し、米国援助の兵士給与を着服するため、“幽霊兵士”を多数作って報告した。政権はあわてて市中の若者狩りで兵士を集めたが、速成の弱兵は戦線からすぐ逃げ出した。アフガン政府軍も同様で今回、国境外に逃げたり、投降したり。ガニ大統領が最後まで泥縄式に新兵・民兵を求めていたが、空(むな)しかった。
弱兵も可哀想(かわいそう)なのだ。80年にソ連のアフガン戦争を取材した時、カブール市内バスで、横にいた政府軍の兵卒おじさんに急に腕を組まれた。揺れをこらえるためだが、兵卒の制服の腕がほころびだらけなのに驚いた。ソ連に支援された当時の左翼政権も腐敗だらけ。兵卒の制服もそのしわ寄せを受けていたのだろう。
今や、元協力者の救出は待ったなしだ。「カブールに行ったらお前を殺す」と電話で脅迫された元通訳も多い。タリバンは6月、「もうイスラムと祖国を裏切らないと誓う者は逃げずともよい」との声明を出した。だが最善(=最悪)の前例がポル・ポト派だ。内戦中、彼らは「ロン・ノルら指導者7人は死刑にするが、他の役人や軍人は問題ない」と繰り返した。信じた者には戦後の大虐殺が待っていた。いま元直接協力者と家族7万人が米国行きを必死の思いで待っている。役人、議員、ジャーナリスト、女性職業人ら“間接協力者”も皆震えている。
ブリンケン氏は「75年の南ベトナム・サイゴン陥落とは違う」と言うが、ここからは大いに当時を見習ってほしい。サイゴン陥落直後の75年5月~12月、米国は「ニューライフ作戦」を敢行、13万人を脱出させた。戦争に秘密協力させたラオスの山岳民族モンなども難民として引き取った。その後も大量のボート難民を受け入れた。モン族などは余りに違う環境の中で苦労し続けたが、彼らの孫娘が東京五輪の体操女子個人総合で金メダルを獲得した。
米政権はやっと先月ごろから元直接協力者救出に真剣に取り組み出した。だが、300回の空輸作戦が必要とされるのにまだ数回程度だった。
そして今、カブールの米大使館員らの国外脱出退避のため急きょ6000人の米兵を派遣した。もう撤退期限も何もない。“間接協力者”も自由を求める市民も、弱兵もできるだけ助けてほしい。さもないとトランプ、バイデン両氏合作のアフガン撤退は、現地の人々を無視したダメ撤退例として歴史に記録されるだろう。
(元嘉悦大学教授)