衆院選、沖縄を読み解く 小選挙区で保革が接戦
《 沖 縄 時 評 》
比例は改憲派が6割占める
依然厚い反自民の壁
先の衆議院選挙で「国難突破」を掲げた安倍晋三首相が信任された。自民・公明の与党は3分の2を超える議席を獲得して圧勝。改憲積極派の日本維新の会と希望の党を加えると、8割を超えた。
これに対して護憲派の立憲民主・共産・社民の各党は2割以下の議席にとどまった。得票数(比例)でも改憲派は約7割の3859万票、護憲派は約3割の1643万票。これで国会での改憲発議と国民投票の道が大きく開けた。
では、沖縄ではどうだったか。各党の得票数・率などを基に沖縄の政治情勢を読み解いていきたい。いささか数字が多くて気が引けるが、客観的事実を押さえるためにしばしお付き合い願いたい(以下、選挙区以外の得票数・率は衆参とも比例=概数)。
自民は前回、4小選挙区で全敗したが今回、4区(本島南部、宮古・八重山諸島)で西銘恒三郎氏が8万2000票を獲得し、米軍普天間飛行場の辺野古移転に反対する翁長雄志知事派の仲里利信氏に6000票の差をつけて議席を奪還した。
自民の比例での得票数・率は14万票22・4%。昨年の参院選の16万票27・8%から票・率とも減らしたが、前回14年の総選挙の14万1000票25・3%とほぼ同じで現状維持だ。
自民の得票率の全国平均は33・3%で、30%以下は民進党の牙城の長野(27・6%)、維新が基盤とする大阪(27・1%)、そして沖縄の3府県のみ。沖縄は全国最低で、改めて反自民の壁の厚さが知れる。
一方、自民と連立を組む公明は、全国では前回730万票13・8%から今回698万票12・5%と減らし、2000年以降で初めて700万台を割った。しかし、沖縄では前回の8万8000票16%から今回10万8000票17・3%へと伸ばした。
これは自公連立の成果だろう。与野党の対決構図となった小選挙区で自民候補は公明票を得るため、一方の公明は比例区の票拡大を目指し、両県連は初めて推薦状を交わした。自民陣営の「比例は公明」の訴えが奏功し公明票が伸びた。自公は合わせて39・7%で約4割(全国では46%)。
◆強い固定票持つ社共
今選挙は一種の新党ブームだった。民進が希望と立憲に二分され、全国では立憲が1108万票19・9%、希望が967万票17・4%を獲得、両党合わせて2000万票37%を超えた。
沖縄も同じ傾向で、立憲が9万5000票15・1%、希望が8万4000票13・4%で、計17万9000票28・5%を獲得。全国と比較して低いのは社民と共産が強固な固定票を持つためだ。
民進(民主)は2005年には16万票26%、政権を獲得した09年は25万票38・5%に躍進。だが、12年に下野して以降は振るわず、14年は8万9000票8・9%に沈んだ。今回の立憲、希望両党は05年レベルで、自公には及ばなかった。
社民は全国では94万票1・7%で、ついに100万台を切り、「もはや終わった」との声も聞かれる。だが、沖縄では2区で照屋寛徳氏が9万2000票を得て当選。比例は7万票11・3%で、九州ブロックの1議席当選に貢献した。この2議席が社民の全国で得た議席の全てだ。だが、「オール沖縄」の野党共闘が実現して以降、共産に票を食われ続けている。
その共産は全国では「オール沖縄」方式で野党共闘を進め、14年606万票11・4%、16年601万票10・7%と、600万台を維持してきた。だが、今回は前回比で得票数160万減、得票率3割減の440万票7・9%に落ちた。
沖縄ではどうかというと前回、「オール沖縄」の一点共闘を成功させた1区で、赤嶺政賢氏が全国唯一の小選挙区議席で獲得したが、今回も死守。比例では16年の9万票15・6%から後退し7万5000票12・1%。それでも12%台を維持し、社民を上回っている。共産、社民の減少分は立憲に移ったとみられる。
全体に占める共産勢力(共産+社民)の得票率を見ると、10年29・5%がピークで、第3極ブームの12年には21・7%に落ちたが、13年に29%に戻した。その後は14年28・9%、16年27・7%と微減、今回は新党ブームのあおりで23・4%にまで落とし、3割の壁を超えられないでいる。とはいえ、全国の社共の合計9・6%に比較すると、2・5倍だ。
ところで今選挙を三つどもえ戦として見ると、結果は全国では①自公45・8%、②希望・維新23・4%、③立憲・共産・社民29・4%だったが、沖縄では①39・7%、②20・7%、③38・5%と、③のリベラル左派が10%も多く、自公と競り合っている。左翼勢力の根強さを物語る数字だ。
このうち①②が改憲派、③が護憲派とすると、全国では7対3。沖縄では6対4で、左派勢力が強い中でも改憲派が6割を占めているのは特筆すべきだ。
護憲派の得票率を見ると、09年の57%がピークで(民主党を含む)、10年は52・1%、12年は36・4%へと落ち込んだ。それ以降、13年37・8%、14年43%、16年44・2%と盛り返したが、今回は民進党が割れたため38・5%と大幅減。
◆「オール沖縄」は凋落
では、来年11月の県知事選にはどのような影響を与えるだろうか。4区で自民の西銘氏が仲里氏から議席を奪還した意味は大きい。仲里氏は元自民県議で、反辺野古派の「オール沖縄」の象徴とされ、翁長雄志知事が最も力を入れて支援した候補だったからだ。
反辺野古派が「オール沖縄」を唱えたのは保守系の参加もあったからだが、今年7月の那覇市議選では14年の知事選で翁長氏を支持し自民党を除名された4人が落選。とりわけ前議長の金城徹氏の落選は「オール沖縄」の凋落(ちょうらく)を見せつけた。
そして仲里氏の落選だ。今年実施された宮古島、浦添、うるまの市長選でも3連敗しており、これで「オール沖縄」崩壊は一層、浮き彫りになった。
1区では共産の赤嶺政賢氏と自民の国場幸之助氏、維新の下地幹郎氏の戦いとなり、赤嶺氏が6万票で当選したが、国場氏は5万4000票、下地は3万4000票で、辺野古容認派は計8万8000票を獲得し、反辺野古派を圧倒している。
14年の県知事選では翁長氏は36万票で当選、仲井真弘多・前知事の26万1000票に10万票の大差をつけた。しかし、同選挙では下地幹夫氏が6万9000票を得ており、容認派は計33万票。翁長氏との差は3万だった。
その直後の14年総選挙では、小選挙区で反辺野古派は30万4000票、これに対して容認派は26万5000票で、差は3万8000票に広がった。16年参院選では反対派の伊波洋一氏が35万9000票に対して自民の島尻安伊子氏は25万票で、再び10万の差をつけた。
それが今回、反辺野古派32万4000票に対して容認派は30万1000票で、2万2000票まで詰め寄った。もうひと押しというところまで来たとみてよい。
もう一つ注目されるのは知事選の前哨戦となる来年2月の名護市長選だ。辺野古の地元だけに知事選への影響が大きい。14年に反辺野古派の稲嶺進氏が再選され、それ以降、14年総選挙、16年参院選でも3000~4000票の差で反辺野古派が連勝。今回(3区)も玉城デニー氏が1万4000票で、自民の比嘉奈津美氏の1万1000票に3000の差をつけた。
名護市では保守派に「3000の壁」が立ちはだかっている。市長選には自民党県連が10月、渡具知武豊・名護市議の推薦を決定しており、稲嶺氏との一騎打ちになる見通しだ。
今選挙の各党得票数(比例)を見ると、混戦模様が浮かぶ。多い順で並べると、自民5829票、公明5789票、立憲民主4254票、希望3310票、社民3104票、共産2623票、維新1112票。反辺野古を鮮明にする立憲民主と共産、社民を加えると約1万。容認派の自民、維新は7000程度で、ここでも3000の差。公明(県連は移設反対)と希望の9000票の行方がカギを握りそうだ。
辺野古移設の正念場を迎える18年は政治決戦の年でもある。沖縄の動きから目を離せない。
増 記代司