国際捕鯨取締条約脱退の意味

東京財団政策研究所上席研究員 小松 正之

日本捕鯨の終焉を加速
縮小の一途をたどる捕獲枠

小松 正之

東京財団政策研究所上席研究員 小松 正之

 2018年12月26日、日本政府は国際捕鯨取締条約からの脱退を正式に表明し、条約の加盟国としての立場は19年6月30日で終わった。

 今年7月1日、マスコミは31年ぶりの商業捕鯨の再開と騒ぎ立て、歓迎のコメントを紹介していたが、出航風景と食のコメントを伝えるだけで、本質に迫った報道や番組は見られない。筆者は数え切れないインタビューに応じたが、本質的な問題を提示したものは一社もなかった。20カ国・地域(G20)首脳会議は各国首脳に説明する好機であったにもかかわらず、政府は隠匿した。

 条約を脱退したら、国際捕鯨取締条約と商業捕鯨一時停止には拘束されない。従って、南極海でも北西太平洋でも捕鯨を大幅拡大するのかと思いきや、これまで調査捕鯨の最大捕獲枠の1454頭から、わずか227頭に削減した。そして、提訴を恐れ日本の200カイリ内に限定した。

02年下関総会後に凋落

 02年国際捕鯨委員会(IWC)下関総会で、日本の捕鯨の交渉力は頂点を迎えた。この時はダブルスタンダードを駆使した米アラスカエスキモーの原住民生存捕鯨の捕獲枠の設定を日本は同盟国と一致団結し、阻止した。その後は下り坂の一途である。極めつけは、10年4月のIWC議長提案の名を冠した日米共同提案である。

 07年の米アンカレッジIWC年次総会で、日本はアラスカのエスキモーに対する67頭の原住民生存捕鯨の捕獲枠を支持したが、日本沿岸小型捕鯨の捕獲枠を米国は認めなかった。裏切られ、交渉に熟練を欠いた日本が一方的に脱退をほのめかし、IWCの機能不全を批判したことから始まった「IWCの将来」の検討会議で、日本が1454頭(10年6月)の捕獲頭数を427頭に、ノルウェーの885頭を600頭に、アイスランドの350頭を160頭に、大幅に削減することを提案。しかし、米原住民生存捕鯨の捕獲枠は全く手つかずのままであった。

 この提案の特徴は、日本が長年、廃止を要求し違法性を指摘してきた商業捕鯨一時停止に関し、その延長を日本が自ら積極的に認めることに百八十度転換し、「異議申し立ての権利」と「調査捕鯨の権利」の放棄を約束したことだ。原則と基本を捨てた、国家・国民的利益に反する提案であった。この提案を日本は同盟国のノルウェーとアイスランドに相談せず、両国は非常に怒った。両国は現在でも日本の捕鯨対応を信頼していない。

 14年3月、「勝訴する」と語っていた国際司法裁判所(ICJ)での裁判に日本は敗訴した。外国の国際法学者を多用し係争箇所をICJの管轄権に向ける失態を犯し、ICJから門前払いされ、本質の科学論はノルウェーの科学者に任せて逃避した。ICJの判決は違法な「商業捕鯨一時停止条項」を根拠にして、「科学的な条件を満たさないわが国調査捕鯨」は「商業捕鯨」であるから、その「商業捕鯨」の操業をやめろという「不適切な判決」であった。これに反論もせずに受け入れた日本政府は怠慢である。

 その年は調査捕鯨船団の出航を取りやめ、15年には、1986年に先祖返りした調査計画を作成した。科学的には必要性が乏しいミンククジラに限定し、333頭に縮小した。さらに、公海を含む日本近海の北西太平洋捕獲調査事業も、マッコウクジラとニタリクジラの捕獲と沖合のミンククジラの捕獲も取りやめた。2004年から続いた380頭の捕獲から7年には262頭に縮減した。

「商業捕鯨」成り立たず

 それを今回さらに縮小し、わが国200カイリ内で227頭、南極海調査捕鯨は1035頭から333頭に縮減し、脱退後は0頭となった。脱退の勇ましさとは乖離(かいり)し、1227頭の捕獲枠を喪失した。

 19年度捕鯨の補助金は50・7億円である。捕獲枠227頭では約10億円の収入しか見込めない。アイスランド捕鯨関係者からは、これは「補助金捕鯨」で「商業捕鯨」ではないと批判される。今回鯨肉水揚量が当然少なくキロ14000円の法外な高値である。数年前に神戸の鯨肉仲買が倒産し、本年大阪で2軒のくじら料理店が廃業した。捕鯨が食料産業からは程遠くなった。

(こまつ・まさゆき)