IWC脱退と日本捕鯨の将来

東京財団政策研究所上席研究員  小松 正之

さらに進む後退と凋落
科学的根拠と持続利用示さず

小松 正之

東京財団政策研究所上席研究員 小松 正之

 菅義偉官房長官は昨年12月26日、日本の国際捕鯨取締条約(ICRW)からの脱退を表明した。本年7月以降の商業捕鯨は日本の「領海と排他的経済水域に限定し、南極海・南半球では行わない」というが、自国200カイリ内捕鯨なら脱退せずにやればよい。南氷洋の鯨類資源量は世界で最も豊富なのに捕鯨をやめ、北西太平洋での捕獲量も大幅に縮小する。将来の食糧不足対応と海洋生態系解明の重要性に鑑み、時代に逆行した決定である。

 ICRWは、南氷洋における鯨類の保存と管理を目的に1949年に締結された。同条約は「捕鯨産業の健全な発展」を意図した条約であった。第5条には科学的根拠に基づく捕鯨を掲げ、第8条では科学調査捕鯨を実施する締約国の権利を認めている。

 70年代まで国際捕鯨委員会(IWC)はその効果を発揮せず乱獲が進んだが、75年に最大持続生産量(MSY)の概念を持ち込んだ新管理方式を完成させた。しかし反捕鯨国の思惑に反してミンククジラの捕獲枠が算出されたが、82年のIWC総会では反捕鯨国の強引な工作によって商業捕鯨のモラトリアムが採択された。

 商業捕鯨モラトリアムは「90年までにはゼロ以外の捕獲枠を決定することを検討する」と明記、90年の科学委員会は南極海ミンククジラが76万頭(現在は52・5万頭)生息すると推定した。

 新管理方式の反省を踏まえ、87年から改訂管理方式の開発が始まり92年5月に完成。76万頭の資源量に対しては2000~1万頭の捕獲枠が算出され、反捕鯨国の思惑はまたも外れた。しかし、92年には反捕鯨国が国際監視員制度の完成などを条件とする「改訂管理制度」を採択させ、商業捕鯨の再開はさらに先送りされた。

 捕鯨における日本の交渉力のピークは2002年5月の下関の第54回IWC総会であった。日本の沿岸捕鯨の再開を求める提案は賛成20票、反対21票の僅差となり、その後、米国のダブルスタンダードの象徴たるアラスカの原住民生存捕鯨の提案を否決した。

 しかし、10月の英ケンブリッジの特別総会の開催時から、日本の捕鯨の衰退と崩壊が始まった。日本の沿岸捕鯨は認められず、米国の捕鯨は許容された。その後の日米共同提案は南氷洋からの撤退、調査捕鯨の権利放棄、商業捕鯨モラトリアム是認と異議申し立て権を放棄する内容だった。

 05-06年から開始された第2期の南極海調査捕鯨では、捕獲計画約1000頭に対し100~200頭しか捕獲しなかった。科学調査でやってはならない鯨肉在庫調整であった。14年3月の国際司法裁判所(ICJ)の判決は捕獲頭数が計画通りでないとの理由で、条約第8条の科学調査ではない商業捕鯨と認定し、商業捕鯨モラトリアムが適用され、商業捕鯨は中止に追い込まれた。

 18年9月のブラジル総会での日本提案は単純過半数での商業捕鯨の再開の提案だった。非論理的で非現実的な提案であったため、27対41で否決された。

 ICRWのうち、日本にとって最大の懸案は商業捕鯨モラトリアムの解除が28年間も無視されたことだ。その不当性を堂々と争う立場をもってIWC内で行動すべきだった。商業捕鯨モラトリアムが違法であるとの見解を繰り返し明確にし、かつ、200カイリ内捕鯨は加盟国の権利として行い、提訴国があればその国と商業モラトリアムの違法性を国際裁判で争うことの方がよかった。反捕鯨国も商業捕鯨モラトリアムに違法判決が下されることが脅威であろう。条約内での捕鯨は、実施の根拠がなくなる脱退後の捕鯨より国際条約上の基盤が強固であるのは当然だ。

 日本は02年までは①科学的根拠に基づく利用②鯨類資源を持続的利用③異なる食文化食習慣の尊重-との方針を明快にうたっていた。そして沿岸捕鯨再開、調査充実と商業捕鯨モラトリアム解除など具体的提案を行った。

 だが、最近のIWC日本代表団は、それまでの交渉姿勢がIWC内での対立を招いたとの思い込みから、「無益な対立をあおらないよう、現状のIWCでは採択の可能性がない提案を投票にかけることは行わない方向とする」(08年の基本方針)と変更した。このような方針のため10年のIWC総会の議長提案(日米提案)は「いかなる捕鯨も反対」の反捕鯨国によって否決され、18年9月にも日本提案が否決された。

 日本は反捕鯨国の善意に根拠もなく期待し、手続き提案ばかりして、科学的根拠と持続利用を前面に出さなかった。南氷洋と北西太平洋海洋生態系や鯨類資源について包括的評価と将来像も提供しなかった。行政官が政治家に適切な説明をしないから、政治家もIWC総会での役人の対応を叱る。しかし具体性が見られない。

 最近15年間、後退し凋落する日本捕鯨の一連の流れの中で、今さら脱退してもこれらが突然示されることは期待できない。最近15年続いた後退と凋落(ちょうらく)が進むと考えるのが残念ながら妥当であろう。

(こまつ・まさゆき)