仏大統領の米非難は間違い
アメリカ保守論壇 M・ティーセン
強い米国が世界平和守る
問題は偏狭なオルトライト
フランスのマクロン大統領は、ポピュリスト・ナショナリズムを非難し、「世界に共通する善」を守る国連などの機関への支援を世界の指導者らに呼び掛け、リベラル派エリートの喝采を受けた。演説は、トランプ大統領への批判とみられた。トランプ氏の「グローバリズム」の拒絶と「ナショナリズム」擁護は、米保守主義と米国のリーダーシップの衰退の兆候として嘲笑の的となった。
残念なことだ。しかし、米国の保守派は、トランプ大統領が登場するずっと前から、グローバリストの活動に反対していた。
1990年代の初め、クリントン政権の国務副長官だったストローブ・タルボット氏は副長官就任の直前、「国というものはすべて基本的に、一つの社会的形態であり、…人工的で一時的なものだ」と指摘、「今後数百年以内に、…私たちが知っている国家というものは廃れ、すべての国は、単一の地球規模の機関を受け入れるようになる」と訴えた。保守派は、タルボット氏のようなリベラル派と違って、米国を一時的な社会的形態と見ていない。超国家的な地球規模の機関への動きを、根本的に非民主主義的と考える。選挙で選ばれることのない官僚への権力の集中が強まり、国民に対して責任を持たない国家機関は、官僚が下した決定によってますます国民から離れていくからだ。
◇国際協力は重要
ノーベル賞を受賞した経済学者ミルトン・フリードマン氏は、1962年の名著「資本主義と自由」で「政府が権力を行使するのならば、州よりも郡の方がいい。ワシントンよりも州の方がいい」と指摘した。その理由として「地元のコミュニティーが嫌いなら、…別のコミュニティーに移ることができる。州がすることが嫌ならば、別の州に移ればいい。だが、ワシントンが課すことが嫌でも、この世界の国々は用心深く、選択肢はあまりない」ことを挙げた。地球規模の機関が課すものが嫌な場合は、どこに行けばいいのだろうか。
米国の保守派は、共通の困難に対処するためには国際協力が重要と考えている。しかし、超国家的な機関に米国の主権を譲ること、リリパット人が無数の糸でガリバーを拘束したように、条約や制度で行動の自由が制約されることは拒否する。20世紀にナチズムと共産主義を阻止したのは、国際法ではなく、主権を持つ米国が主導する世界の民主主義国家群が信念をもって戦力を投じたためだと考えている。中国が台湾に侵攻せず、北朝鮮が韓国を攻撃しないのは、国連の非難が怖いからではなく、米軍が怖いからだ。強い米国があるからこそ、世界の平和が守られているのだ。だから、ブッシュ大統領(子)が弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約を破棄し、国際刑事裁判所(ICC)への加入を拒否した。だからトランプ大統領は、中距離核戦力(INF)全廃条約などから離脱する。
また、ポピュリズムそのものが間違っているわけではない。米国の保守派は常にポピュリストだった。多数の個人の方が、中央の一握りのエリートよりも、正しい判断ができると考えるからだ。現代の保守運動の祖、ウィリアム・F・バックリー・ジュニアのこの言葉はよく知られている。「ハーバード大学の教務陣が統治する社会に住むよりも、ボストンの電話帳の最初の2000人が統治する社会に住みたい」。
◇米は「例外」国家
米国の保守派は常にナショナリストだった。しかし、欧州のナショナリズムが「地縁と血縁」に基づく一方で、米国のナショナリズムは、一つの思想、つまり自由という思想に基づく信念のナショナリズムだ。米国があえて、自国を「例外」国家と主張するのはそのためだ。移民家族が何世代にもわたってフランスに住んでも、「フランス人」として受け入れられないが、「偉大なる人種のるつぼアメリカ」に飛び込むと、1世代でほかの米国人と区別がつかなくなる。欧州のナショナリズムは基本的に排外的だが、米国のナショナリズムは開放的だ。米国に入国していなくても、気持ちでは米国人という人は世界に無数にいる。
現在直面している問題は、ポピュリズムやナショナリズムの台頭ではない。偏狭な考えを持つ右派オルトライトが、欧州型の血縁地縁と結び付いたナショナリズムを米国の全国民に押し付けようとしていることだ。これは成功しない。地縁血縁ナショナリズムは米国建国の原則と相いれないからだ。独立宣言には、すべての「米国人」でも、すべての「国民」でもない、「すべての人間」は「生まれながら平等」と記されている。米国に「民族」はない。米国民は、外から侵入したウイルスのようなオルトライトの偽りのナショナリズムを拒否する。
しかし、米国式ナショナリズムをも拒否するということでも、グローバリスト運動を受け入れるということではない。マクロン氏が、それが気に入らないというなら、オルトライトよりもさらに有害だ。
(11月14日)






