ワルシャワ蜂起記念式典に思う
アメリカ保守論壇 M・ティーセン
ナチスに立ち向かった英雄
ただではない自由と平和
米国の(2000年以降に社会人になった)ミレニアル世代は、社会に大変な不満を持っている。そんな世代にこう言いたい。下水道で汚物に腰まで漬って歩き、アンモニアの臭いにむせそうになっても、地上にいるナチス親衛隊の兵士らに気付かれるため咳(せき)もできない、そんな厳しい状況に直面したことがあるか。咳をすれば、親衛隊は、マンホールのふたを開けて、手投げ弾か、毒ガスを放り込んで殺そうとするぎりぎりの状況に遭遇したことがあるか。
75年前のワルシャワでは、十代の若者がそのような境遇にあった。レジスタンスの生存者らが先週、ポーランドの首都ワルシャワに集まり、1944年の「ワルシャワ蜂起」の犠牲者を追悼した。地下組織「国内軍」が蜂起し、ナチス・ドイツ占領下のワルシャワを解放し、63日間、守った。
◇20万人以上が死亡
私は、この蜂起で戦った91歳の母と共にワルシャワを訪れた。蜂起の前、母は地下組織の配達係だった。ラジオやメッセージを携えて市内のどこにでも行った。ガールスカウトの仲間と一緒に、外出禁止令の下りた夜間に家をこっそり抜け出した。見つかれば処刑もあり得る犯罪だ。ポーランドの英雄の記念碑に花を手向けたり、壁に反ナチスの落書きをしたりした。蜂起中は、ドイツ兵の狙撃をかわすために、走ってバリケードを越え、前線で戦う兵士らに命令や武器を届けた。
ポーランド人で兵器を持っているのは、ほぼ4人に1人だけだった。石で戦った者も多くいた。10歳、11歳程度の子供たちは、ドイツの戦車にこっそり近づき、ガソリン爆弾で火を付けたりした。ナチスの反撃は容赦なかった。市内のボラでは、5万人以上の民間人が処刑された。国内軍が降伏を余儀なくされるまでに、20万人の民間人と1万6000人の兵士が死亡し、市の80%が破壊された。
一方、わが国の大学では、ミレニアル世代とそれに続く「Z世代」が「言葉は暴力」だと訴え、「感情的安全」を求め、嫌な考え方を押し付けられないよう「安全な場所」と「事前警告」を要求している。だが、言葉は暴力などではない。暴力は親衛隊らが建物内を一掃するために使った火炎放射器だ。無防備な民間人による人間の盾の前のナチスの戦車だ。蜂起の間、「安全な場所」はなかった。戦いは、家から家、部屋から部屋すべてで行われた。「事前警告」など存在しない。あるのは引き金を引き、街頭に並ばせた民間人や捕虜を処刑するドイツ兵だけだ。
ポーランドの若者はこのことを知っている。若いポーランド人が、90代になった蜂起の参加者らを抱擁する姿に圧倒された。1万人以上のボーイスカウトやガールスカウト、ボランティアが記念式典への支援を申し出、高齢のパルチザンの車いすを押し、水を提供し、当時の話に聞き入った。蜂起が開始された「W」時間の8月1日午後5時、全市が止まった。空襲警報が鳴り響き、人々は通りに出て、発煙筒に点火し、車のアラーム、クラクションを鳴らし、「英雄たち、私たちは忘れない」と声をそろえて叫んだ。
◇過去の世代の犠牲
私はこの式典を見せたくて、17歳、16歳、13歳の双子の子供たちをワルシャワに連れていった。本当の困難、犠牲、英雄とはどういうものなのかをその目で見てほしかった。同じような年齢の子供たちをナチスが処刑した場所の壁に空いた弾痕に指を入れさせたかった。このような悲惨な出来事を経験した家族が今ここにいるということ、今享受している自由、平和、安全はただで得られたものでないことを知ってほしかった。
何よりも、歴史上かつてない、最も素晴らしい時代に生きていることを知ってほしかった。文明が始まって以降、今以上に繁栄し、自由を謳歌(おうか)し、発展を目指し、寿命が延びた時代はない。貧困、病気、飢餓、非識字率、暴力的犯罪が今ほど減った時代はかつてない。かつてないこの瞬間は、過去の世代の犠牲によってもたらされたものだ。武器を取り、悪に立ち向かい、命をささげた男女のおかげであり、私の子供と同年代の子供たちですら犠牲となった。それによって今、平和で、自由で、無限の機会に恵まれた世界に住むことができている。
この犠牲を決して忘れてはならないし、その理想を守らなければならない。何よりも、ナチスから身を隠すために下水の中に潜む必要がないことを感謝したい。
(8月9日)






