ワシントンの信念 米国の独立は「神の摂理」

米建国の理念はどこに(1)

デービッド・エイクマン氏

インタビューに応えるデービッド・エイクマン氏

第1部では、リベラルな政策を推し進めるオバマ米大統領と宗教界の間で激化する摩擦の事例を紹介したが、第2部では、キリスト教を土台とする建国以来の宗教的伝統から乖離しつつある米国の姿を報告する。
(ワシントン・早川俊行、写真も)

18世紀後半、イギリスと独立戦争を戦い、独立宣言の採択や合衆国憲法制定に携わった政治指導者たちのことを、米国民は尊敬の念を込めて「建国の父」と呼ぶ。米国を地球上で最も繁栄する国家へと導く礎は、彼らによって築かれた。

建国の父たちは憲法修正第1条で国教樹立を禁じ、信教の自由を保障した。だが、米社会では今、その「政教分離」の原則を根拠に、公の場から宗教を排除するリベラル勢力の圧力がかつてないほど強まっている。建国の父たちは、教会など宗教施設の壁の内側でしか宗教表現を認めない非寛容な世俗国家を本当に理想としていたのだろうか。

これについて、米タイム誌でベルリン、エルサレム、北京支局長などを歴任したジャーナリストで、現在は大学教授のデービッド・エイクマン氏は「建国の父たちには米国を世俗的な国家にする意思はなかった」と断言する。

マザー・テレサやアレクサンドル・ソルジェニーツィンら世界の著名人にインタビューするなど、国際問題に精通するエイクマン氏だが、宗教関連の著作も多い。昨年、米国の宗教的伝統がいかに圧迫されているかを詳述した『神なき一つの国?-不信仰時代のキリスト教の戦い』を上梓した。

エイクマン氏は「全ての建国の父たちが敬虔なキリスト教徒だったわけではない。だが、神の導きがなければ米国は独立できなかったとの共通認識があったことは疑いの余地がない」と指摘する。その例として挙げるのが、初代大統領ジョージ・ワシントンだ。

ワシントンは独立戦争が始まった1775年に大陸軍総司令官に任命されると、マーサ夫人への手紙で「これは一種の運命だ。私は確信を持って神の摂理に身を委ねるつもりだ」と書いている。また、総司令官として兵士たちに最初に下した指令は、神に対する不敬な行動を禁じるとともに、礼拝に参加して神の導きを懇願することを命じるものだった。

独立戦争という難局を打開するため、神の力が必要だと考えたのはワシントンだけではない。第2回大陸会議(植民地代表者による議会)は戦時中、「断食と祈りの日」を何度も定め、全住民に罪を悔い改め、神に許しを請うよう求めた。

ワシントンは1789年4月の大統領就任式で、「最初の国事行為で、宇宙を支配する全能なる存在に私の熱烈なる懇願を省略するとすれば、それは極めて不適切なことだ」「合衆国国民ほど人間の事象を司る見えざる手を認め、崇敬するよう運命付けられた国民はいない」と主張した。

また、同年10月、感謝の日を宣布したワシントンは「全能なる神の摂理を認め、神の意思に従い、神の恵みに感謝し、神の保護と恩恵を謙虚に懇願することは全ての国の責務だ」と強調している。

さらに、ジョージア州のユダヤ教組織に宛てた書簡では「ユダヤ人をエジプトの暴君の下から約束の地へ導いたのと同じ神の摂理によって、米国が独立国家として設立されたのは明白だ」とまで述べている。ワシントンは米国民が「神の選民」の後継者であり、米国の独立こそ神が導いた「約束の地」であると認識していたことが分かる。

建国当時と今では時代背景が大きく異なる。それでも、公の場から宗教を排除する今日の米国は、最も偉大な建国の父であるワシントンが望んだ姿であるとはとても思えない。