対照的な2人の大統領 自由保障したジェファーソン
米建国の理念はどこに(5)
米独立宣言の起草者で第3代大統領のトーマス・ジェファーソンは、1802年にコネティカット州ダンベリーのバプテスト連盟に送った書簡に「教会と国家の分離の壁」と書いたことで、現代の米国では、公の場から宗教を排除する厳格な政教分離主義者とみなされている。だが、元タイム誌記者で大学教授のデービッド・エイクマン氏は「ジェファーソンは市民道徳として教会に行くことを最も熱心に勧めた大統領の一人だった」と指摘する。
ジェファーソンは1801年から8年間の大統領任期中、公的施設である連邦議会下院で行われていた日曜礼拝に熱心に参加していた。最初に出席したのは、「分離の壁」の書簡を書いた2日後だった。
こんな逸話も残っている。ジェファーソンが礼拝に向かう途中、偶然出くわした友人の牧師からこう尋ねられた。「教会に行くのかい? 君は教会の言葉を信じていないはずだが」。ジェファーソンがキリスト教の教義に懐疑的であることはよく知られていた。
ジェファーソンは牧師の言葉に反論せず、こう返答した。「今まで宗教なしで存在、統治された国家はないし、統治することはできない。キリスト教は人間に与えられた最高の宗教だ。私はこの国の大統領として手本を示して支持する姿勢を見せなければならない」
ジェファーソンが参加していた下院の礼拝は超宗派的に行われ、主流派から少数派まであらゆるプロテスタント教派の聖職者が説教を担当していた。また、ジェファーソンは宗派を問わず連邦政府の建物を使用することを許可し、財務省でも礼拝が行われていた。米議会図書館の歴史家、ジェームズ・ハトソン氏は「ジェファーソン大統領の時代、ワシントンの日曜日は国家が教会と化したといっても過言ではない」(著書『宗教とアメリカ共和国の建国』)と指摘している。
1803年に米国がフランスからルイジアナを購入した翌年、ジェファーソンのもとに、ニューオーリンズで学校や孤児院、病院を運営するカトリックのウルスラ修道会から手紙が届く。ルイジアナがプロテスタント中心の米国の一部になったことで、政府による圧力を恐れた修道女が、これまで通り慈善活動を続けさせてほしいと懇願したのだ。キリスト教が徹底弾圧されたフランス革命の記憶が新しいこともあり、信教の自由が守られるかどうか深刻に憂慮していた。
これに対し、ジェファーソンは「米国の憲法と政府の原則は、あなたがたの組織が国家権力の干渉を受けることなく、自主的なルールに従って運営できることを保障するものだ」と返信。「大統領として提供できるあらゆる保護を受けられると安心してほしい」とまで書いている。
宗教組織による慈善活動への政府介入を否定したジェファーソン。対照的に、オバマ大統領は人工的な避妊を不道徳と信じるカトリック教会の反発にもかかわらず、病院や大学、慈善団体など宗教組織が運営する非営利団体にも、職員に提供する医療保険を通じて避妊費用を負担させる方針を打ち出した。これを拒否すれば巨額の罰金を科され、事業継続は困難になる。つまり、「宗教組織は政府の要求に従わない限り、公の場で自由に活動できない」(カトリック教会のドナルド・ワール枢機卿)状況が生まれている。
「オバマ大統領がウルスラ修道会への手紙のような内容を書くことを想像できるだろうか」――。保守派団体「イーグル・フォーラム」のフィリス・シュラフリー会長は著書『至高の権力』で、ジェファーソンと比較しながら、宗教に対するオバマ氏の非寛容さを嘆いている。
(ワシントン・早川俊行、写真も)






