揺らぐ「例外主義」 孤立主義に向かう恐れ

米建国の理念はどこに(12)

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9月10日、シリア情勢で国民向けテレビ演説をするオバマ米大統領(UPI)

 米国の対外政策を語る上で重要なキーワードの一つが「例外主義」だ。米国は特別な役割を持った例外的な国であり、世界をリードする道義と責任があるとの考え方だ。20世紀以降、米国が国際秩序の形成・維持のために主導的な役割を果たしてきた根底にはこの考え方がある。

 「例外主義」のルーツは、英国での弾圧を逃れ、信仰の自由を求めて新大陸に渡ってきたピューリタンにさかのぼる。彼らは神から他国の模範となる社会を築く使命を与えられたと信じていた。

 その象徴が、ピューリタンの指導者だったジョン・ウィンスロップの「丘の上の町」演説だ。

 ウィンスロップは1630年、アルベラ号で大西洋を航行中に行った説教で、「我々は丘の上の町とならなければならない。全ての人々の目は我々に注がれる」と訴えた。「丘の上の町」は新約聖書にある表現で、イエスが世の人々の模範となる行いをしなさいと説く文脈の中で出てくる。

 つまり、ウィンスロップは人々が常に視線を注ぐ「丘の上の町」のように、ピューリタンが新大陸に築く社会は全世界の模範とならなければならないと強調したのである。

 ウィンスロップの「丘の上の町」は道徳的な共同体を建設する意味で語られたが、自分たちは神から特別な使命を与えられた特別な人々だという概念は例外主義の土台となり、米国には世界に自由と民主主義を広める責任があるとの認識に発展する。

 20世紀に「丘の上の町」を演説で引用した大統領は2人いる。ジョン・F・ケネディ氏とロナルド・レーガン氏だ。両氏は近代の民主、共和両党を代表する大統領であり、例外主義は党派を超えて米国の政治指導者に受け入れられてきたことがうかがえる。

 だが、これに否定的なのがオバマ大統領だ。2009年4月、訪問先のフランスで、記者から米国の例外主義を信じるかどうか尋ねられたオバマ氏は奇妙な回答をしている。

 「イギリス人がイギリスの例外主義を信じ、ギリシャ人がギリシャの例外主義を信じるように、私は米国の例外主義を信じる」

 すべての国が例外であるなら、本当に例外的な国は存在しないことになる。米国を含め、どの国も同等だというのが、オバマ氏の基本的な認識だといえる。

 元タイム誌記者で大学教授のデービッド・エイクマン氏は「例外主義の理念なしで、真剣な米外交政策は成り立たない」と指摘。米国が世界に対して特別な責任を果たす道義があるとの信念を失った場合、孤立主義に向かう恐れがあると憂慮する。

 オバマ氏は9月10日、シリア情勢に関する国民向けテレビ演説で、米国が「例外的」な国であることを強調した。

 だが、世論と議会の反発で武力行使から外交解決へと方針を転換し、揺らぐ大統領の権威を取り繕うために例外主義を持ち出した印象は否めない。

 世界における米国の特別な地位は、例外主義の理念だけで確保されてきたわけではない。圧倒的な軍事力がこれを支えてきたのだ。だが、今年3月、10年間で約5000億ドルの国防費強制削減が発動され、米軍は「空洞化の瀬戸際」(ジム・インホフ共和党上院議員)に立たされている。

 オバマ氏はその責任を議会に押し付けるが、2011年に成立した予算管理法に、財政再建をめぐる与野党協議が決裂した場合、国防費を強制削減する条項を入れるよう主張して譲らなかったのがオバマ氏だ。

 米軍は深刻な戦力低下をもたらす強制削減に悲鳴を上げるが、最高司令官として積極的に事態打開に動くオバマ氏の姿はない。

(ワシントン・早川俊行)