文科省の高校普通科再編案に苦言
NPO法人修学院院長 久保田 信之
上意下達という常套手段
特権意識なくならぬ文部官僚
文部科学省が、高校生の7割が在籍する高校普通科を再編し、文系・理系などの枠組みを超えた「学際融合学科(仮称)」と、地域社会の課題解決を目指す「地域探究学科(同)」の2学科の新設を認める方針を固めたとの報道は、さらなる議論の爆発を期待したい大問題だ。
偏差値が教育界を支配
初等教育の段階から、高等学校が偏差値の輪切りで縦に並んでいるため、保護者が、偏差値という作為的な数字に支配されている。また学校側も偏差値に依存し切って、上位校ほど保身に徹している。現在、教育機関は成長力を喪失している、というのが実態だと言えよう。
文部官僚は「教育の自治だ」「行政による介入は極力控えるべきだ」等々、大学創設・設置に関しては、大きな権限を有していながら、一度、認可し、教育活動が開始されると、途端に「放任」に徹してきたのが実情であった。
新学科では、中堅校などで進学を目指しつつ、社会の課題を扱うなど「実生活に根差した授業を増やして、生徒の学習意欲の向上を狙う」としている。
普通、学校という所は、教育の実態が可視化できず、偏差値で生徒を追い立てようが、教育とは言い難い受験訓練に徹しようが、「結果良ければ全て良し」であるため、中等教育が大学入試のための画一的な教育になりがちで、特色や魅力ある教育内容に乏しいと指摘されてきた。
こうした現状を察知した文科省は、ついに今回も、性懲りもなく「上位下達という常套(じょうとう)手段」に踏み切ったのだ。
普通科教育を主とする高校に、普通科のほか「持続可能な開発目標(SDGs)」など現代的な課題解決を図る「学際融合学科」を置くのだという。ここでは大学や国際的な諸機関との協定などを想定する、という。さらにまた、少子高齢化などの地域社会の課題解決を探るために「地域探究学科」を設置できるようにするという。ここでは地元自治体や企業と協力し、実践的な授業を行うよう求める、というのが完成図である。
以上の2学科に収まらないスポーツや文化人材の育成などに対しては、「その他の特色ある教育」も学科として認めるとし、柔軟性を強調している。文科省内で成案を得たのち中教審が内容を詰め、来年初めに「高校改革などについて文科省に答申する。文科省は今年度中に省令を改正して21年度からの生徒募集、22年春からスタートを可能にする」のだという。
以上、3年間の後期中等教育機関(俗に高等学校)に対して、文科省内部でひそかに改革が検討されていたことを知って驚くとともに、大きな不安を感じざるを得ない。
教育活動そのもの、すなわち生徒一人ひとりと深く関わり、その変化・成長の過程に最大の関心を抱きながら、生徒も教師自身も成長するといった「利他の精神」を基盤に置いた教育活動は、ややもすると「低次元の主観」「客観性が欠如」との批判が、外野から飛んで来ることがある。
観察し、分析し、説明することを旨とする「心理学」、教育の結果を統計上処理する一つの手法として導入した「標準偏差値」が、いつの間にか独立した価値を持って「教育」を支配してしまったのが、日本の学校教育界だと言えよう。
学校という狭い母集団の中で標準値を出すと、往々にして変化がなく、成績の配列がほぼ固定してしまうのだ。それがため「高校生は小中学生に比べ、学習意欲が低い傾向がある」と久しく教育者の間から問題が指摘されていた。
また、最大の悩みは、進学したい大学の「予備校」として高校3年間を位置付けるために、「若者らしい柔軟な発想」が死滅し、「過去問」と称する問題集に支配される「異常な3年間」を送る傾向が強くなったのだ。
気になる関係者の反応
文部官僚が、この3年間を抜本的に改革しようと、長い間推し進めていたことに驚きを禁じ得ない。と同時に、この改革案は、既存の初等・中等教育関係者はもちろんのこと、3年後、彼らを受け入れる大学が、如何(いか)なる反応を示して「自己改革」をするか、初等教育にも激震が起こりそうで、興味は尽きない。
「教育界の特権階級」としての自負があるから、文部官僚が率先して声を上げたのであろう。今後の反応が大いに気になる。皆さまのご意見を承りたい。
(くぼた・のぶゆき)











