アフガン“失敗戦争”の和平

米国の英断、現地の大困難

山田 寛

 

 新型コロナの超大ニュースの陰だが、先に米国とアフガニスタン反政府武装勢力のタリバンが和平合意に調印したのも大きな出来事だった。米史上最長の戦争で、米軍は2万2300人以上が死傷、1兆㌦以上を投じた。アフガン側は政府軍、タリバン、民間などの50万人以上が死傷した。そんな「米国のアフガン戦争」が終わりつつある。

 2001年の米国での同時多発テロ直後、当時のタリバン政権がそのテロ組織を匿(かくま)っているとして米軍が侵攻、政権を崩壊させた。だが、タリバン・ゲリラはやがて力を盛り返し、泥沼の戦闘とテロを続けてきた。

 元米統合参謀本部議長上級顧問のカーター・マルケージアン氏は、米フォーリンアフェアーズ誌最新号の論文で、「米国のスローモーションの失敗」と表現し、失敗原因をこう総括した。①米指導者たちは、最初にタリバンに楽勝したことによる誇大な自信と、アフガン発テロが米国で再発したら選挙に負けるとの恐れで、泥沼にはまり続けた、②当初ブッシュ政権は、弱体化したタリバンの「武器を捨て新政権の政治プロセスに入る」希望を斥(しりぞ)けるなど、好機を2度逸した、③アフガン新政権や軍閥の腐敗で民心が離反した、④「占領への抵抗」はアフガン文化。タリバンがその体現者と見られたりもした、⑤パキスタンがアフガン政権の親インド傾斜を強く警戒、タリバン支援を続けた。

 そんな“失敗戦争”から足を洗うことは、トランプ「米国第1」大統領には当然の英断なのだろう。

 だが1973年のベトナム戦争和平、88年のソ連のアフガン戦争和平の協定とその後の状況を思い出すと、今後の現地の大困難を心配せずにいられない。

 今回、アフガン政府は蚊帳の外だった。タリバンが「国際テロの温床にならない」などの約束を守れば、14カ月以内に米軍、国際軍は完全撤退すること、国内安定に向けタリバンはアフガン政府や諸勢力と協議することが決まった。

 ベトナム戦争は規模が桁違いだが、和平過程には類似点も多い。交渉は米―北ベトナム(当時)間で進められ、チュー南ベトナム政権は合意を押し付けられた。米政権は再介入もあり得る様に言ったが、そんな可能性が消散したのを見た北ベトナムは南全土制圧を決断、75年に完遂した。チュー大統領は亡命、大量の難民も流出した。協定は、チュー政権と「南の解放勢力」が政治解決を協議するとしていたが、画餅だった。

 ソ連はアフガン共産主義政権を維持するため侵攻し、イスラム・ゲリラと10年近く戦った。協定後、現地は大混乱。92年にナジブラ共産政権は打倒され、96年、最過激ゲリラのタリバンの勝利後、ナジブラ氏は惨殺された。

 そんな前例から見ても、米軍の完全撤退後の再介入は99%ない。タリバンは、米軍完全撤退前は行動を慎み、完全撤退後も「米国内でのテロ」には関与しないよう努めるだろう。だが究極の目的は全土再支配だろうから、政府などとの協議は進展し難い。

 政権時に過酷なイスラム原理主義統治、女子教育禁止などの女性抑圧、文化財破壊を強行、以後もテロを重ねたタリバンだ(中村哲医師殺害などは否定しているが)。以前本欄で女性暗黒時代再来を危惧する現地女性の声を伝えたが、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)特使の米女優、アンジェリーナ・ジョリーさんは「タリバンが再び権力を握れば、最大の敗者は女性だ」(米タイム誌)と書いている。

 01年以後誕生した女性の議員、公務員、職業人、学生生徒たち。運命が暗転しないよう祈りたい。

(元嘉悦大学教授)