ロヒンギャの惨劇、スー・チー政権最大の試練に
ミャンマー西部のラカイン州。イスラム教徒のロヒンギャ族の村を強襲した国軍部隊は、家々に火を放ち、村民を殺害し、略奪し、レイプした。国境の川を渡って逃げた者も何人か射殺された。小舟で渡った集団は、バングラデシュ側から追い返され、海に流されて行った。
住民の話では、10月からこんな惨劇が繰り返されている。
当局によれば、10月9日、この地域の国境警備警察官詰め所3カ所がロヒンギャの過激派グループに襲われ、警官9人が殺された。以後、過激派摘発作戦が続いている。
政府・軍は無差別殺人や蛮行を否定するが、当局側の数字でも、11月中旬までにロヒンギャ側102人、軍・警察側32人の死者が出ている。
米NGOの調査では、世界全体で自由と民主主義が後退し続けている中で、最大の例外がミャンマーだ。3月末、事実上のアウン・サン・スー・チー政権が発足した。だが、その政権にとって今、ロヒンギャ問題が最大の試練となりつつある。
ロヒンギャ族は約100万人。何世代も前から住み着いているが、1982年のビルマ時代の法律で「非国民」とされ、何の権利も認められない。国民の大半も「バングラデシュからの不法な移民」と決め付ける。
国連人権高等弁務官は6月、「処刑や拷問も含め、長年にわたる彼らへの重大な人権侵害は、人道に対する罪ともなり得る。差別撤廃は、新政権の優先事でなければならない」と警告した。
ミャンマー国境に近いバングラデシュ南部コックスバザールの難民キャンプで、子供2人をミャンマー軍に焼き殺されたと訴えるロヒンギャの女性=11月24日(AFP=時事)[/caption]
2012年、軍政から民政への過渡期、国民の多数を占める仏教徒の中の過激派による、イスラム教徒への暴力が広がった。この州では、仏教徒によるロヒンギャ攻撃で大衝突事件が発生、数百人が殺された。この時、家を失った10万人以上は、まだ粗末な避難民キャンプに押し込められている。そして14年ごろから、海へ脱出するボートピープルが急増した。
その多くは最終的に米国を目指す。米国に定住できた幸運なロヒンギャ難民は、昨年2573人、今年は9月半ばまでで2173人。同期間、他の少数民族なども含むミャンマー難民合計は、シリア難民より多い。ロヒンギャにも、トランプ次期米大統領がイスラム移民阻止を実行するかは、大問題となる。
それ以上に大きな問題を抱えたのは、もちろんスー・チー政権だ。簡単な問題でないのは分かるが、これまでほとんど動かなかった。国連の警告に対し、9月の国連総会演説の中で、「国内の全共同体にとり、持続的な平和と安定、発展につながる解決策を目指す。国際社会も理解してほしい」と述べた程度だ。国連には「彼らを『ロヒンギャ』でなく『ベンガル人』と呼んでほしい」と注文したりもした。
そこへ、12年以来最大の流血の事態が生じた。ミャンマー軍は、もともと民衆いじめで悪評が高い。スー・チー政府もコントロールできないのか。かつて軍政時に迫害された彼女に共感を抱いた多くのロヒンギャは失望し、国外からの批判も強まった。流血と失望が続けば、過激派グループに、国際イスラムの影響も入り込むかもしれない。
スー・チーさんも放ってはおけず、少しだが動き始めた。軍・警察には無法な行動を慎むよう求め、ラカイン州暴力調査委員会(委員長はアナン前国連事務総長)も設けた。過激派仏教徒のヘイト・スピーチへの寛容的態度も変えた。
だが、現地の警察は仏教徒だけの「補助警察隊」の速成に努める。軍・警察がどれだけ同調するか。国民の共感も得られるか。彼女の国際的威信を懸けた一大挑戦が始まった。
(元嘉悦大学教授)