同性愛禁止は人権侵害か
人間の「行為」は平等に非ず
2011年12月、スイス・ジュネーブで演説したヒラリー・クリントン米国務長官(当時)はこう主張した。「我々は自分自身に尋ねてみる必要がある。『もし私が愛する人を愛することが犯罪だったらどう感じるか』と」
同性愛行為を犯罪とする、いわゆるソドミー法が存在する国は非人道的と言わんばかりだ。だが、同性愛行為を禁ずることは、本当に人権侵害なのだろうか。
米国防長官上級顧問などを務めたロバート・ライリー氏は、同性愛論争に関する著書でクリントン氏の主張にこう反論している。
「愛する人が既婚者や兄弟だったらどうなのか。教師が生徒を、牧師が聖歌隊の少年を、叔父が姪(めい)を愛した場合はどうか。これらの性関係は道徳的に誤りであり、『どう感じるか』は問題ではない。なぜ同性愛者には同情して、これらの性関係は同情すべきでないのか、クリントン氏は語らなかった」
米国でも03年まで一部の州でソドミー法が存在したように、どの性行為を禁ずるかは各国がそれぞれの道徳規範に基づいて決めるべきものであるはずだ。
オバマ政権が同性愛行為を人権と認知させようとしていることについて、ナイジェリア・カトリック教会のエマニュエル・バデジョ司教は、カトリック系メディアのインタビューで「すべての人間の行為に人権のステータスが与えられるわけではない」と指摘。「同性愛者も神の子だ。尊重されるべき権利を有する。だが、人権と行為は区別されるべきだ」と主張した。
ジャマイカの弁護士シャーリー・リチャーズ氏も、米保守派団体が制作したドキュメンタリーのインタビューで「行為に基づく人権はない。すべての人は平等だが、すべての行為が平等というわけではない」と断じている。
同性愛者も基本的人権を有するにもかかわらず、同性間の性交渉という特定の行為に対して「ゲイライツ」という新たな権利を付与することは、特権階級を生みだし、逆に平等を損ねることになる。実際、米国ではゲイライツが優先され、伝統的な宗教道徳に基づく性倫理や男女の結婚の枠組みを支持するキリスト教徒が社会的制裁を受けるなど、信教・良心の自由が否定される事例が相次いでいる。
米保守派団体「家庭調査協議会」のトラビス・ウェーバー氏は「人間の良心にある道徳的信念が不可侵の人権の認知につながった。良心の自由がLGBT(性的少数者)政策に支配されたら、人権システムはどう維持するのか」と指摘。性的指向・性自認に基づく新たな人権は「無限の要求と問題」を生みだし、「普遍的な人権システム自体を脅かす」と懸念を示す。
ライリー氏も「一部の人に当てはまるもののために人権を流用すれば、人権の概念自体を弱体化させてしまう。同性愛者に対して虐待があるなら、特定グループのためにつくられた権利ではなく、人権の観点から反対されるべきだ」と論じている。
(ワシントン・早川俊行)