「統一地方選挙」が示した危機
平成国際大学教授 浅野 和生
“無投票”多く低い投票率
民主主義が地方政治から腐朽
4月7日と21日、いわゆる「統一地方選挙」の投票が行われた。都道府県、市町村などすべての首長と議会の選挙が100%同時に行われるのが真の「統一地方選挙」であるとすると、今回の選挙の実施率は27・27%で、とても「統一」地方選挙と呼べるものではなかった。それでも多少なりとも「統一地方選挙」のように見えたのは、47都道府県のうち41道府県議会で選挙が行われたからだ。
奪われる国民の参政権
しかし、道府県議会議員選挙で今回争われるはずの総議席数2277のうち612、実に26・88%が無投票当選であった。自民党が412人で一番多かったが、共産党でも13人が無投票当選だった。これでは「有権者」とは名ばかりで、全国各地で多くの国民が参政権を奪われていることになる。
筆者の居住する埼玉県では、52選挙区90議席のうち、22選挙区32議席が無投票当選だった。実に選挙区の4割以上、県議会議員の3分の1以上が無投票で決まったことになる。
以上のような無投票当選の蔓延(まんえん)、いわゆる「候補者不足」について、市町村議選では報酬の低さが立候補をためらう理由として指摘されることが少なくない。しかし、都道府県会議員の場合、平均報酬月額が約81万円、埼玉県議会議員では月額報酬92万7000円、それに政務調査費の月額50万円がついてくるから、決して低報酬ではない。
しかも、埼玉県議選の無投票選挙区には、人口23万4000人の春日部市(東第7区)、19万7000人の熊谷市(北第5区)なども含まれている。これらの市は、過疎地とはいえないし、無投票当選になるほど人材難とは思えない。
なお、今回の「統一地方選挙」では、知事選と特別区長選挙の二つを除いて、県議、政令市議、市長、市議会議員、区議会議員、町村長、町村議会議員という7種類の選挙で平均投票率が過去の最低記録を更新した。今回の平均投票率は、知事47・72%、市長47・50%、特別区長44・21%、県議44・08%、政令市議43・28%、特別区議42・63%で、いずれも5割に満たなかった。ちなみに、埼玉県議会選挙の投票率は35・52%で全国最低であった。
以上のように、今回の「統一地方選挙」は、無投票選挙区および無投票当選者の多さと投票率の低さという二つの問題を顕在化させた。これでは民主主義の基盤としての地方自治が衰退して、地方政治が官僚政治化してしまう。すなわち、平成最後の「統一地方選挙」は、日本の民主主義が、地方政治から腐朽していく危機を白日の下にさらけ出したのである。
市町村議はともかく、県議レベルで無投票が多いということは、各党とも組織化が進まず、不活発な地域が少なからずあるということである。地方を活性化させ、日本の未来を拓(ひら)くには、各党は地方基盤の養成に全力を傾け、本気で地方政治に取り組み、候補者を発掘し、育てなければならない。それでこそ多くの有権者が、地方政治に対する諦めと無関心を脱して、投票所に足を運ぶようになる。
一方、少なからぬ国民が、自分の経済的利益や小さな夢を追い求めることだけを人生の目的とする、視野狭窄(きょうさく)症に陥っている。それを奨励する近視眼的な主張が、マスコミにも社会にも横溢(おういつ)している。その結果が、今回の「統一地方選挙」に結実したともいえる。
各党の真摯な努力期待
しかし、祖先と周囲からの恩恵なくして、人は呱々(ここ)の声を上げることも、文明を享受して人生を平安に過ごすこともできない。そのことに思いをいたすならば、人は、自らの人生の舞台を広げる努力とともに、子供たちには、故郷としての市町村や都道府県、さらには日本に目を向けさせ、その発展に貢献する意識を持たせようとするはずである。
民主主義国家の日本国民は、積極的に参政権を行使しなければ、新たな時代を迎えた国家や地域を活性化させ、発展させることはできない。そして国民の参政権行使の環境を整えるために、各党の真摯(しんし)な努力に期待したい。
(あさの・かずお)






