「成り手不足」深刻な地方議員
政治ジャーナリスト 細川 珠生
問われる政治家の在り方
次世代の育成妨げる高齢多選
今月7日に、統一地方選挙の前半戦となる、11道府県知事選、6政令市長選、41道府県議会議員選、17政令市議会議員選の投開票が行われた。結果は、各地域でのパワーバランスと、中央政界の力関係、また中央(国)と地方の関係がそれぞれどのように作用したかによっても異なるため、個々の結果をここでは論じない。しかし、現在、後半戦の真っ只中(ただなか)でもあるが故に、「統一地方選挙」の課題について改めて考えてみる必要がある。
評価されぬ本来の仕事
まず、最大の問題は、「成り手不足」問題である。今回の道府県議会議員選挙では、全国の議員定数の約4割が無投票当選であるという。定数以上の立候補者がいなく、選挙が行われないということだ。その理由は、住民の高齢化と地方議会の運営を含めた在り方による成り手不足である。平日昼間に開催される議会では、兼業としてできる職種は限定される。夜間開催となれば、今度は子育て中の世代には難しい。
それでも、地方議員という職業が、自分たちの地域は自分たちで決めることができるような権限と責任を持つ魅力あるものであれば、どのような状況であれ、議員を目指す人も増えるだろう。しかし実際には、国ありきの地方政治となっており、国(国会議員)との関係やそれを取り巻く権力闘争の一端に加わるというものであるならば、それを魅力と考える人は今後ますます減少するであろう。
特に、盆暮れ正月のみならず、日ごろから、会合や地域の行事への出席・挨拶などこそが、議員の仕事の一つと考えられているような慣習が根強く、若い世代や女性の嫌悪感は高まるばかりである。地方の限られた権限の中でも、地域がより良くなるために、政策を考え、限られた予算の中でも知恵を絞ってその政策を実行するという政治家本来の仕事こそが評価されるのであれば、成り手は増えるはずである。そうなっていないことは何故なのか、地方のみならず、国を含めて、政治家の在り方として猛省すべきである。同時に、それは単なる政治の側の問題ではなく、そのような役割を政治家に求める有権者、つまり国民の問題であることを、日本国民全体で自覚すべきである。
今回顕著であったのは、高齢多選の問題である。11知事選での最高齢は、大分県知事選で5選した76歳の広瀬勝貞氏である。その次が、4選した奈良県知事の荒井正吾氏の74歳。年齢は58歳であるが、徳島県知事選では、飯泉嘉門氏は5選。福井県知事選では、5選を目指した74歳の西川一誠氏は、56歳の新人に敗れた。反対に、新人同士の戦いであったが、北海道知事選で当選した鈴木直道氏は38歳、大阪市長から大阪府知事となった吉村洋文氏は43歳、また現職を破って当選した相模原市長の本村賢太郎氏は48歳であるなど、若い世代のチャレンジに希望がないわけではない。
年齢や当選回数で一律に人を判断するものではないことはもっともであるが、やはり多選は問題を多くはらむ。知事経験者などに聞けば、たとえ逆風の中、初当選したような人であっても、2期目の中盤以降は、ある程度自分の考える政策は実現できるという。それが一概に悪いわけではないと思うが、行き過ぎれば、弊害の方が多くなることは明白だ。それだけ、その地域における首長の権限は大きく、また地位も高い。そのような立場であればこそ、身の処し方は自ら判断できるような人でなければ、なってはならないのである。
子供の環境に認識不足
「人生100年」ともてはやされる昨今、70歳を過ぎても現役並みに働ける体力・知力のある人が増えてきた。少子高齢社会の日本には、高齢者の自立は重要である。それでも、現役世代の中心である30代から50代までの人たちとは、体力の差は歴然であるし、私が一番問題だと思うのは、次世代を育てるということに対する責任感の欠如にある。次世代、つまり子供たちを現役で育てているのではないだけに、今の子供たちを取り巻く環境に対する認識が不足しているのである。今の子供たちのことを分かっていなくて、どのように次世代を育てるのか。多選や高齢が、その要因になっていないか、出馬の前に真剣に考えるべきことである。
(ほそかわ・たまお)