「こども庁」「子ども基本法」の問題点
麗澤大学大学院特任教授 高橋 史朗
法と教育のバランスを
セットで捉えるべき人権・人格
「こども庁」の創設を目指す有識者会議の発足と同庁設置法の立案に向けた準備が進み、年内にも取りまとめが行われ、関連法案が来年の通常国会に提出される見通しである。議員立法で「子ども基本法」の制定を目指す議論も進められているが、踏まえるべき論点について指摘したい。
「Children Firstの子ども行政の在り方勉強会」資料によれば、「こども庁」「子ども基本法」構想の原点は、日本の国連NGO団体が働きかけた国連の委員会からの対日勧告にある。
家族の理念腐敗の危険
子供の権利条約の批准に当たって論議された争点に立ち返って考えてみる必要がある。西独政府は「批准議定書」に「子供を成人と同等の地位に置こうというものではない」と明記し、子供の権利の概念を「保護を受ける法的地位」に限定した解釈宣言と細かな「覚書」を付して、子供の「自律による保護の解体」に歯止めをかけようとした。
J・ヘルムス米上院外交委員長は、「子供の権利条約は自然法上の家族の権利を侵害するものである」と同条約の批准に反対し、米政府は批准しなかった。
東洋大学の森田明教授は、「法と権利は、人間関係を強制力によって破壊することはできる。しかし、法は人間関係を形成することはできない」として、子供の権利が栄えて人間関係が衰弱する危険、保護の理念、家族の理念が腐敗する危険があると警告した。
また、学習院大学の波多野里望教授は、「この権利条約は決して、国内法体系のバランスを崩してまで、子供の権利を突出させることを締結国に要求するものではない」と指摘した(高橋史朗編『児童の権利条約』至文堂、参照)。
こうした反対論、慎重論にも十分耳を傾ける必要がある。「子ども基本法」の研究会が、国連の委員会に働きかけて対日勧告を出させた日本の国連NGO団体の幹部を招いてヒアリングしていることが事態の深刻さを物語っている。
同団体の中核は日教組に事務局がある「子どもの人権連」と、組織的にも財政的にも部落解放同盟が牛耳っている「反差別国際運動」(IMADR)である(拙稿「国連の『対日勧告』と反日NGOの関係についての歴史的考察」『歴史認識問題研究』第5号、参照)。
「子ども基本法」WEBサイトに掲載されている参考文献は、同団体の関係者の著作に偏っており、「教育の論理」と「法の論理」のバランスを説く有識者の見解を無視している。
福沢諭吉は『学問のすすめ』で、“right”を「権利」と訳すと、「必ず未来に禍根を残す」と警告し、「権理通義」すなわち「権義」と捉えた。“right”には道徳的に正しいという意味があり、「道理」に基づき、一定の行為を催促することを当然とする「求ム可キ理」、すなわち、普遍的妥当性と一般的確実性に裏付けられた「正義」を「通義」と捉えた。
ちなみに「権理」と訳した著作は20余例に及んでおり、『西洋事情』2編1巻でも、福沢は「『ライト』トハ元来正直ノ義ナリ」と説いている。こうした「権利通義」という道徳教育の視点も見失ってはならない。
自民党「こども・若者」輝く未来創造本部の「こどもまんなか」改革の実現に向けた緊急決議(6月3日)は、ガブリエル・クビー『グローバル性革命』が解明した文化マルクス主義の「グローバル性革命」思想に基づく「包括的性教育」の事例を「参考にすべきである」と明記した。同決議が「子どもの権利条約を基盤」とした「こどもまんなか」という理念を掲げている点にも、誤った子供中心主義から脱却できないのではないかという根本的な疑念が残る。
目先の利益を否定し自らを抑制しうる「人格」を育てることが、「子供の最善の利益」につながる。学校は子供の「自立」を目指して、「他律」によって「自律」へと導く“逆説的”な組織であり、教育の任務は子供を「人権」の正当な行使者に育てていくことにあり、「人権」と「人格」はセットで捉える必要がある。
「健全育成」の視点欠落
かつて政府の「次代を担う青少年を育てる有識者会議」が提言に盛り込んだ「地獄への道は善意で敷き詰められている」というヨーロッパの格言の「健全育成」の視点が「こどもまんなか」の理念には欠落しているのではないか。
(たかはし・しろう)