奈良県の市立中学校で、担任教諭2人が各学級の生徒たちに対し、新型コロナウイルスのワクチン接種の有無を挙手させるなどしていたことが分かった。


米モデルナ製の新型コロナウイルスワクチン=6月14日、東京都大田区

米モデルナ製の新型コロナウイルスワクチン=6月14日、東京都大田区

 奈良県の市立中学校で、担任教諭2人が各学級の生徒たちに対し、新型コロナウイルスのワクチン接種の有無を挙手させるなどして調査していたことが分かった。生徒の保護者が学校に連絡して市の教育委員会が問題視し、教諭らは「聞くべきことではなかった」と生徒に謝罪したという。

接種の有無が子供たちの間で仲間外れやいじめの種にもなりかねないと配慮した市教委。敏感過ぎる対応とも思われるが、これが個人、家庭、地域社会を巻き込んだ感染症に対する人々の意識の実際かもしれない。

それには、政府にも大きな責任がある。1970年代にインフルエンザや天然痘ワクチンの副反応をめぐる訴訟で国の敗訴が続き、以後はワクチン行政が停滞してきた。しかも日本はこの時期、海外からも「ワクチン鎖国」と言われるほど、ワクチン開発に消極的だった。

当時は医療界の中の左翼勢力が勢いを得て、国主導のワクチン開発を真正面から拒否。その後、何十年もの間、開発にネガティブな状況で、国民の多くはワクチン接種に馴染(なじ)みがなくなっていた。

政府の新型コロナ感染症対策分科会の尾身茂会長は、参院厚生労働委員会で「日本の地域医療計画は感染症に対する発想がなかった」とした上で、医療体制を見直すべきだと話した。

「発想がなかった」とは手厳しいが、ワクチン接種に関連し、教師たちが右往左往する事態を見ると、決して言い過ぎではなかろう。