実効支配強め尖閣防衛の決意示せ

東洋大学現代社会総合研究所研究員 西川 佳秀

西川 佳秀

東洋大学現代社会総合研究所研究員
西川 佳秀

 中国海警船による尖閣諸島海域での常在化や領海侵犯が多発する中、日本政府は尖閣防衛に対するアメリカのコミットメント取り付けに腐心している。これを受け発足間もないバイデン政権は、大統領や国務長官らが再三、尖閣が安保条約の対象であることを明言し、4月の日米首脳会談の共同声明でも、日米安全保障条約第5条が尖閣諸島に適用されることを再確認するとともに、尖閣諸島に対する日本の施政を損なおうとする如何なる一方的な行動にも反対する考えを示した。これで、尖閣は安泰なのであろうか。

上陸・占領容易な無人島

 1982年4月、南大西洋の英国領フォークランド諸島に突如アルゼンチン軍が上陸、同諸島を占領し自国領と宣言した。実効支配を失った英国は交渉での解決をめざすかと思われたが、サッチャー首相は大部隊を送り込み、アルゼンチン軍との激戦を制し同年6月奪還に成功する。約40年前のこの時期、両国軍は激しい島の争奪戦を繰り広げていたのである。英国が領土を取り戻すことができたのは、兵士の勇戦敢闘や、武力による現状変更を許さず自らの手で島を取り戻さんとするサッチャーの決断力もさることながら、平素から同諸島に英国民が住み着き、文字通り実効支配を続けていたことも深く関わっていた。

 フォークランド諸島には英国籍を持つ約2千人の島民が居住し、英国軍も駐留していた。そのためアルゼンチンが必死に領有の正当性を訴えても、武力制圧の際に英国軍の抵抗を受け、また一般島民を拘束した事実は国際世論の支持取り付けを難しくし、捕虜の扱いなどでアルゼンチン軍の行動を制約することにもなった。

 さらに英国人が虜(とりこ)にされたことで、本国イギリス人の愛国心に火をつけてしまったのだ。遠隔の小島で英国にとって価値も小さく、よもや軍隊を送り込みはしまいとアルゼンチンは高を括(くく)っていたが、その見通しを誤らせたのは、同胞の解放と領土奪還を求める英国世論の強さだった。英国民の熱き愛国心が、サッチャーを支えたのである。

 翻って尖閣はどうか。現在、尖閣は無人島で定住者はいない。日本政府が施設の設置や定住を認めようとしないのだ。無人の島はたやすく侵略者の占拠を許す危険が大きい。万一奪われてしまった場合、「尖閣は日本領だ」と世界に叫んでも、「ならばなぜ日本は防備もせず、いとも簡単に占領を許したのか」と国際世論は訝(いぶか)しがるだろう。日米が共同して日本防衛に当たる旨の安保条約第5条は「日本の施政下にある領域」に対する武力攻撃が発生した場合と規定しており、ひとたび中国人の上陸や支配を許せば、尖閣が日本の施政下にあるとは言えず、5条の発動は難しくなる。米軍の来援を確実なものとするには、日本が同諸島を支配している実態が伴っていなければならないのだ。

 その上、一度島が占領、制圧されると、奪還のための戦闘は自衛権行使の発動とは認められず、国連は平和的な解決、つまり交渉を勧めるであろう。現にフォークランド紛争の場合もそうだった。戦後平和主義の影響もあり、もはや奪われてしまった無人島だからと、日本の世論は武力での奪還を避け交渉での解決を支持するのではないか。しかし、交渉で領土が戻ってくるものだろうか。南シナ海では、さしたる抵抗も受けず中国が次々に無人の環礁を奪い取り、自国領と嘯(うそぶ)いている。中国の卑劣なやり口に怒りを覚えるとともに、そこに明日の尖閣の姿が重なりあう。

領有正当化ためらうな

 日本政府は、尖閣諸島を行政区域に持つ沖縄県石垣市による尖閣への上陸と行政標識の設置を許可しない。中国の反発を恐れ、政府関係者を除き何人も尖閣諸島への上陸は認めない方針を取っているからだ。だが、同盟国に頼りながら、自らは主権国家として当然なすべき領有正当化の行為にさえ躊躇(ちゅうちょ)するのは矛盾ではないか。しかも今の方針の下では、安保条約の発動さえ難しくする。

 アメリカに共同防衛の担保を求める前に、まずは尖閣諸島への施設設置や人員の常駐化等を進め、法的にも実体的にも尖閣が日本の領土であることを内外に明確に示すとともに、万一侵略を受けた際には武力を以(もっ)てしても、自国の領土は自らの手で守り抜くとの決意を指導者・国民の双方が固くすることが何よりも重要である。

(にしかわ・よしみつ)