埋め立てで面積広げた沖縄
沖縄大学教授 宮城 能彦
理不尽な辺野古だけNG
沖縄軍港の浦添市移転はOK
私は沖縄県浦添市の出身である。浦添市は那覇市の北東、東シナ海に面する市であるが、海岸のほとんどを米軍基地(キャンプ・キンザー)が占めており、私たち市民が行ける海岸は牧港のカーミージーと呼ばれる地域などわずかであった。
学生の頃、私は泳ぎが得意でないことを県外の人に告白すると不思議がられることが多かった。「海が綺麗(きれい)な沖縄に住んでいてなぜ?毎日泳げたでしょう」と言うのである。私はその理由を「海岸を米軍基地が占拠しているので近くに泳げる海岸がなかったからです」と答えることがあったが、もちろん冗談である。
その浦添市も最近海岸沿いに基地が解放され国道58号線のバイパス的な道路が開通し、大型ショッピングモールも今月開店した。これから浦添市の西海岸開発も進み、「米軍基地のせいで海岸がなく泳ぎが苦手」だと冗談も言えなくなるだろう。
会談に応じぬ玉城知事
さて、その浦添市の西海岸開発は、ご存じの方も多いと思うが、那覇軍港の浦添西海岸移設とは切り離せない計画である。その移設に関して松本浦添市長が困惑している。その内容は、浦添市に移転するのにもかかわらず、権限を持つ那覇港管理組合が浦添市の意見がほとんど反映されない組織になっているということである。さらには、松本市長が要望する僅(わず)か30分の面会を玉城県知事と城間那覇市長が無視。返事さえ返さないという状況が続いている。正式な手続きでは無視され続けるので、松本市長は自らが表に立ってユーチューブで訴えている。
松本市長の訴えは単純明快である。市長は故翁長前知事の著書を引用し、「沖縄県民の代表が総理に何度会談を申し入れても会うことすらできないという状況をみてください。意見交換どころか会いもしないとは何事だ」という部分を読み上げ、「今度は、沖縄県と那覇市が浦添市に同じことを行っている」と批判し、たった30分の会談のアポさえ取れないと嘆いている。
民主主義をうたっている玉城知事はなぜこのようなあからさまな態度を取るのだろうか。その理由も多くの人が知っているように単純なことだ。那覇軍港の浦添市移転はOKで普天間基地の辺野古への移転はNGだという説明ができないからである。「これ以上沖縄の海を埋め立てるのは心苦しい」というのならば、なぜ那覇空港の第2滑走路の埋め立てはOKなのかも説明できない。いわば、玉城県政にとって那覇軍港浦添市移設はアキレス腱(けん)であり触れることができない最大のタブーなのである。
不思議なことに、松本市長が主張するユーチューブのアクセス数があまり伸びない。この原稿を書いている7月10日の時点で2482回でしかない。私も自分のSNSで拡散をお願いしたが、実行してくれた人はごくわずかであった。それは何を意味しているのだろうか。
是非はともかく、沖縄県は有史以来海の埋め立てによって面積を広げてきた。その最たるものが那覇市であり、中心の国際通りより海側はほとんどが埋め立て地であるといっても過言ではない。1972年の日本復帰以降は大規模な埋め立て工事が数多く行われ、人気の美ら海水族館に行く途中の名護市の国道58号線はほとんどが埋め立てによって直線化された道路である。
東京ドーム387個分増加
その後、沖縄市の泡瀬地区、糸満市と豊見城市、西原町と与那原町、石垣市、そして大宜味村など大規模な埋め立て工事が次から次へと進められている。
そのために、昭和63年の沖縄県の総面積は2262・81平方㌔であったが、平成22年には2276・15平方㌔、平成29年には2280・98平方㌔にまで拡大した。18・17平方㌔の増加であり、東京ドームの387個分、東京ディズニーランド39個分の増加である。多くの県民はそれが沖縄県にとってのタブーだということをよく理解しているのだ。
先日、ある会合で私は「沖縄県民は辺野古以外の埋め立ては反対しないのです」といって顰蹙(ひんしゅく)を買ったが、多くの人が思っていることである。民主主義の重要性を訴える玉城知事は今後、浦添市民の民意をどのように扱うのであろうか。
(みやぎ・よしひこ)