今、韓国が“国家の道”を進むには


韓国紙セゲイルボ

反日ではなく道徳的自負心を持て

 いま大韓民国の前には二つの道がある。“国家の道”と“政権の道”だ。前者は国の繁栄を盤石にすることを示す。後者は政権の利益を優先する政略の道だ。

康京和外相(左)とボルトン米大統領補佐官

24日、ソウルの韓国外務省で握手する康京和外相(左)とボルトン米大統領補佐官(AFP時事)

 昨今の韓日対立でわれわれはどちらの道に進んでいるのか。政権与党のある重鎮議員は、日本の輸出規制に対して「これほどの経済侵略なら、義兵を起こすレベルだ」と語った。“竹槍歌”をフェイスブックにアップした大統領府の参謀は親日派追及で忙しい。大統領まで李舜臣将軍が「12隻の船で国を守った」と話す状況だ。火を消さなければならない為政者が火を煽(あお)っている。

 われわれが竹槍歌を歌えば日本は鉄砲をとるだろう。1894年、牛禁峙の戦いで竹槍をとった東学軍は2万人余りが命を失ったが、日本軍の戦死者は1人だけだった。韓国国民5000万人が不買運動を行えば、日本国民1億2000万人が対抗するだろう。このように火を煽れば、われわれがより大きい火傷をすることは明らかだ。

 反日は事態解決に役立たない。国を栄えさせる国家の道を行こうとするなら、怒りを押さえ理性で対応しなければならない。日本の稚拙な報復は百回非難されてしかるべきだが、強制徴用賠償問題を放置した韓国政府にも責任がないのか。「両国とその国民の請求権問題が完全に最終的に解決されたことと確認する」という韓日協定文にわれわれが署名したことは明らかな事実だ。盧武鉉政権の時には文在寅大統領も委員として参加した民官共同委員会で、「政府が日本にまた法的被害補償を要求するのは信義則上難しい」という結論を下した。

 ところが2012年、「国家間の協定が個人の請求権を消滅させることはできない」という大法院判決が下されてから、道を外れはじめた。国内で協定と相反する司法判断が出てきたならば、乖離(かいり)を解消する一次的責任は韓国側にある。だが、政府は手をこまねいていた。政府が昨年覆した韓日慰安婦合意文にも「最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」という文言が入っている。

 国際外交界では、「韓国の行動はグローバルスタンダードに合わない」という痛恨の指摘も出ている。政府の無能が国家の信頼を落とし、安倍政権が攻撃できる弱点を提供した。

 国家の道を行くためにはわれわれ自ら堂々とし、道徳的優位に立たなければならない。100年前の3・1独立宣言書で烈士らは、「日本に義がないことは恨まない。自らを鞭打つのに忙しいわれわれには人を恨む余裕がない」としながら、「今われわれがすべきことは、われわれ自身を正しく立て直すことであって、人を破壊することではない」と言った。どれほど堂々としていることか。暗鬱な植民地下で強く守った道徳的自負心を、なぜ弊履の如く投げ捨てるのか。

 われわれに重要なのは反日ではない。克日という国家の道を行こうとするなら、義兵を募集しようという短見から抜け出し、遠くを見なければならない。

(裵然國論説委員、7月23日付)

ポイント解説

国際信義則に立ちかえれ

 現在の問題は、そもそも韓国の卓袱台返しが発端である。解決した問題を蒸し返し、理不尽な要求を突き付け、解決の道も塞いでいるのは韓国政府だ。日本ではそう受け止めている。

 一方、韓国では別次元でこのことを捉えている。日本に「道義」や「道徳」を求めているのだ。それでは、話が噛(か)みあうはずがない。

 日韓併合の清算は1965年の基本条約・請求権協定で「解決済み」であるし、その後持ち出された「慰安婦」問題も苦労の末の決断で日韓合意を見るに至った。両国政府の知恵と努力の結晶だ。

 ところが「ゴールポストが動かされた」。ゲームセットにはならなかったのだ。また延長線かと日本は嫌気がさし、韓国疲れという言葉までうまれた。韓国が日本を追い詰めれば追い詰めるほど、解決はますます遠のく逆効果だ。

 韓国は攻め方を間違っている。問題は解決した。いったんこれで収めて、その後問いたい道義的問題があるなら、それを日本に分らせていく努力をすべきだ。日本人は悪ければ素直に頭を下げる「潔さ」を持つ。潔さを引き出すには責めは愚策だ。善悪を分別して、認めるべきは認めることだ。そこに気付いている韓国人もいるのだが、残念なことに青瓦台だけにはいない。

(岩崎 哲)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。