【韓国紙】分裂と敵対越え「三・一運動」顧みよ そこに存在の基礎がある
1919年3月1日午後、全国7都市で独立宣言式が挙行された。三・一運動の始まりだった。これを契機に韓半島全域で蜂起が1年以上続き、後の独立の礎になった。
民権運動家の咸錫憲(ハムソコン)は言った。「三・一運動がなければ今日はない」と。われわれの現在は全てこの運動の遺産である。
しかし、三・一運動には“おなじみの無知”が作用する。あまりにも当然でそれ以上気にならない状態だ。われわれは実際、三・一運動をよく知らない。具体的にこの運動がどのように展開し、参加者が何を夢見たかと問えば、返事は教科書レベルの一面的な真実を越えられない。“昼間の三・一運動”だけを知っているためだ。
高麗大教授のクォン・ボドゥレは著書『3月1日の夜』で、当時の新聞、雑誌、裁判記録、文学作品などを土台に“文学的想像力”を駆使して、三・一運動に対する重層的・立体的な解釈を試みた。この運動の多彩な姿を宣言、代表、旗、万歳、革命、平和、労働者、女性、難民など16種類の枠組みを通し見せている。
三・一運動には己未独立宣言文(三・一独立宣言文)に集約された知識人の運動、“市場と太極旗”が表象する真昼の運動があるだけではない。参加・不参加に関わらず、その影響と記憶の下に生きた多くの人々も存在する。忘れられ埋もれた彼らの言葉も永らく語られることを待ってきた。著者は彼らの三・一運動を“夜の三・一運動”と呼ぶ。
三・一運動に参加した人たちは多様だった。植民権力の統計だけで約60万~100万人だ。当時の人口が約1600万人だったのでその3・7~6・2%が参加した。歴史上これほどの参加度を記録した事件はその後もなかった。
独立宣言文とパゴダ公園のデモは終わりではなく、始まりだった。民衆は昼間でなく夜、より熱心に戦った。3月9日、10日、23日など、大規模な夜間蜂起が代表する夜の三・一運動は労働者と民衆が主に導いた。
ただ1回の参加だけで日常に戻ろうが、満州に行って銃をとったり、地下独立運動に献身したりしようが、彼らは一生三・一運動を生きた。蜂起に参加しないまま、彼らを漫然と見守った人たちも同じだった。
著者は言う。「三・一運動を通じて朝鮮人は抵抗する存在として自尊を形成することができた。われわれは断然、日帝に反対した。力が足りず、踏みにじられても、それは植民地の間中、さらにその後も生き残った記憶だった。三・一運動がなかったなら、民族としてのわれわれはほとんど何でもなかっただろう」。一言で言って、三・一運動は民衆にとって“存在の基礎”であり“尊厳の理由”を提供した。
三・一運動は未完だ。われわれはその光る可能性を十分に探索し、実現できなかった。分裂と敵対で未来を失いつつある今日のわれわれが優先することは一つだ。われわれの存在の基礎である三・一運動を顧みよう。祝祭の場だったそこにすべてのものがある。
(張銀洙(チャンウンス)編集文化実験室代表、3月1日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。
ポイント解説
「三・一運動」の精神はいずこ
三・一運動の火口は東京の神田猿楽町にあった。ソウル鍾路のパゴダ公園で万歳が始まる約1カ月前の1919年2月8日、ウイルソン米大統領の平和14カ条「民族自決」に触発された朝鮮留学生たちが神田YMCAに集まり「独立宣言文」を採択した。
これが朝鮮に運ばれ、「己未宣言文」となって3月1日、33人の宗教指導者によって読み上げられ、万歳が三唱されて、以後、運動は燎原の火のように朝鮮全土に広がった。
「市場と太極旗」とは、民の交流の場、情報交換の場である市に集まった人々が太極旗を振って「大韓独立万歳」を唱えたことによる。それまで国家、民族という概念が希薄だった朝鮮の民がはじめて近代に目覚めた時と言える。
韓国憲法前文では、「三・一運動で建立された大韓民国臨時政府の法統」を継承するとある。世界のどこからも相手にされなかった臨時政府だが、三・一運動をもって近代国家の起点と位置付けているわけだ。
その当否は置くとして、三・一運動の精神に立ち返れというのが記事の主旨である。その前提には、「分裂と敵対」が今の韓国を覆っているという認識がある。文在寅(ムンジェイン)政権で韓国の分断は進んだ。政権の失政によるともいえるし、時代がそうだともいえる。いずれにせよ、新しい大統領はこの分断を修復し、国民の統合を実現しなければならない。
「自己を励むことに急ぐ我に他を恨んで咎める暇はない。今を大事にする我はかつての過ちを問題にする暇はない。今すべきことは自己の建設にあり、決して他を破壊することではない。厳粛な良心の命令によって自家の新運命を開拓しようとするものであり、決して旧怨や一時的感情によって他を妬み排斥するものではない」(宣言文の一部)
「分裂と敵対」を解決するために、このような気高い精神で臨み、ゆめゆめ「○○カード」などは出さないでもらいたい。
(岩崎 哲)