【韓国紙】青瓦台、歴史の中に
青瓦台(大統領府)の運命は奇遇だ。それが建つ地は高麗(第15代王)粛宗時代の1104年に完成した南京(ソウル)の離宮があった場所だ。朝鮮開国後、太祖(第1代王)が景福宮を創建してからは後苑として使用し、日帝強占期(日本統治期)には総督官邸として受難を受けた。日本人が朝鮮王朝の象徴である景福宮を遮るようにその前に庁舎を建て、後ろ側には総督の官舎を置いて、王室の気と民族の精気を抹殺しようとしたと伝えられている。米軍政も司令官の官舎として使った。
政府樹立後、李承晩初代大統領がここを景武台と命名して、大統領の執務室兼官邸として使い始めた。景武台は景福宮の「景」の字と同宮北門である神武門の「武」の字を取ってきたものだが、独裁の代名詞のように思われた。それで、尹潽善第4代大統領は本館の建物が青い瓦でつながっている点に注目し、青瓦台に名前を変えた。ところが、王朝時代の王が居住する宮殿の瓦が青色であり、建物も宮殿の形態に似ており、“九重宮殿”、帝王的な権力の象徴と考えられるようになった。
このため、自由民主主義方式で選出された大統領が住むにはふさわしくないという指摘が多かった。1990年、崔昌祚ソウル大教授(当時)が青瓦台の敷地が凶地であるとの説を提起した後、風水上の論議も絶えなかった。そこは朝鮮時代に王子を産んだにもかかわらず、寂しく余生を送った後宮7人の位牌(いはい)を祀(まつ)った祠堂があり、雑仕女(宮中の召使い)の臨時墓や兵士の武芸訓練場でもあった。19代大統領選挙で文在寅候補の陣営に加わった愈弘濬元文化財庁長と建築専門家の承孝相氏も「風水上、不吉だ」と語った。そのためだろうか。歴代大統領は下野・殺害・逮捕・弾劾・投身など不運と悲劇を味わってきた。朴正熙元大統領が1977年、行政首都を移転しようとしたが、2年後に殺害されこの計画は白紙化された。その後、金泳三、金大中、盧武鉉元大統領が青瓦台の移転を推進したが、さまざまな制約に遭って実現できなかった。5年前、文大統領も執務室を世宗路の政府ソウル庁舎に移そうとしたが、放棄した。
尹錫悦大統領当選者が昨日、龍山大統領時代の開幕を宣言した。5月中に青瓦台は栄辱の歴史を後にし遺物として残るようになるようだ。大統領の受難がこれ以上繰り返されないことを願う。「人が家を建てるが、家は人を作る」(チャーチル英首相)と言ったところか。
(3月21日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。