オスプレイ配備で「負担」軽減

エルドリッヂ研究所代表・政治学博士 ロバート・D・エルドリッヂ

普天間の使用回数半分に
騒音や潜在的危険性が低下

ロバート・D・エルドリッヂ

エルドリッヂ研究所代表・政治学博士
ロバート・D・エルドリッヂ

 前回の論点では、2月24日に行われた沖縄県民投票を前に、その対象になっていた辺野古移設案の問題点をはじめ、政府が沖縄県に約束したが守らなかったとされる「普天間飛行場5年以内運用停止」について論じた。さらに、即時ないし数年以内に完成できる代案を詳しく紹介した。

 どんな代替案にせよ、普天間飛行場の重要性が前提にある。これは米海兵隊や米4軍(陸海空と海兵隊)のみならず、日米同盟、日本、そしてインド太平洋地域全体に住む人々にとって重要である。在沖海兵隊の管轄地域は、地球面積の52%をカバーしているため、海抜95㍍の高台にあり、2740㍍の滑走路を持つ戦略的な普天間飛行場の存在がいかに大事か、読者の皆さんならば分かると思う。日本がやろうとしない3K(キツい、危険、汚い)の仕事をしている海兵隊が仮にいなくなったとしても、普天間飛行場は日本自国の安全保障にとって欠かせない存在だ。

 その意味で、県内移設であっても移設に伴う普天間飛行場の閉鎖は日本にとって自殺行為と言える。

 戦略や作戦を知らない文民や政治家によって決定された普天間飛行場の条件付きの返還が合意されてから、23年が経(た)とうとしているが、返還決定の理由になっている「危険性」や「騒音」という前提は検証されていない。さらにその間、空中給油機KC130の15機が岩国飛行場に移転することによって航空機の数が激減しているにもかかわらず、普天間をめぐる「政治騒音」が増している。

 再検討どころか、「負担」という米軍人にとって大変無礼な表現が表しているように、冷静な議論さえもできない。例えばこの73年間、普天間飛行場の存在が原因で亡くなった県民もいなければ、けがをした県民もいない。これは誰も指摘しないことだ。

 垂直離着陸機オスプレイ(MV22)の配備や運営をめぐる議論も、それと似ている。当時、「負担」の増加をメディアや地元の政治家が根拠なしで厳しく批判していたが、実は、大いに普天間飛行場の「負担」軽減につながる航空機だということを、当時の保守系の県政与党や政府は堂々と言うべきだった。言うまでもなく報道しなかったメディアに責任はあるが、役人や政治家はもっと勉強して行動すべきだった。拙著『オキナワ論』(新潮新書)を参考にしてほしい。

 ここで、オスプレイの配備によって「負担軽減」になっている文脈で述べる「負担」を二つの意味で定義する。①飛行回数の問題②飛行による影響―の2点だ。

 普天間飛行場の使用に関して、MV22はCH46の搭載量の3倍を運ぶことができ、貨物の大きさと重さ、搭乗人数などの要因で、CH46の3機分の仕事ができる。

 MV22の航続距離は、CH46と比べて長く、最大4倍ほどになる。より長く、より遠くまで飛べるので、普天間飛行場がある宜野湾市、または沖縄本島から離れて飛ぶ時間がより長くなる。少なくとも、前のように頻繁に普天間に戻って補給する必要がなくなる。これは、昔のガソリン車と今のハイブリッド車と例えたら分かりやすい。ガソリンスタンドに行く回数が週に1度から月に1、2度になったことと等しい。

 MV22がより遠くまで飛ぶことができるため、沖縄県外の訓練を自力で展開できる。CH46なら島ごとに降りて燃料の補給をするか、船に載せて運ぶ必要があった。さらにMV22は最新の技術を利用し運用しているため、訓練の多くは室内のフライト・シミュレーターでできる。一方、CH46の訓練は、実際にヘリを飛ばさないとできなかった。これによって、飛行の回数が減り、普天間飛行場の滑走路を使用する回数に激減につながる。オスプレイの導入によって、滑走路の使用回数は半分以下になったと言われている。

 これらの事実は、2点目の課題である「影響」と緊密に関係している。

 第1に、フライト・シミュレーターを利用することによって、MV22を実際に飛ばす訓練が減り、騒音や潜在的な危険性が当然少なくなる。第2に、CH46の後継機であるMV22は海兵隊の飛行機などの中で、最も安全性の高い機種の一つであり、1960年代から使用していた中型輸送機CH46よりはるかに安全だ。第3に、普天間飛行場の空域をより早く離れることができる。離陸後、海側に着くのはわずか75秒だ。第4に、速度と関係しているが、MV22Bは離陸後、高い高度で飛行機モードで飛ぶため、その音は他のプロペラ機と変わらない。すなわち、騒音がかなり軽減された。

 実際、緑豊かな普天間では飛行機による騒音が全くなく、最もうるさかったのはセミなどの虫の声だった。海兵隊太平洋基地政務外交部の次長だった頃、何千人もの県民・国民を飛行場に案内したが、参加者も同感だったに違いない。

 このように、普天間飛行場にある航空機の数や使用回数は確実に減っているにもかかわらず、前述した「政治の騒音」は逆に上がってきている。筆者にとっても、中身がなく喧(やかま)しい政治家より、うるさいセミの鳴き声の方がずっとマシなのだ。