沖縄県民が抱くコンプレックス

沖縄大学教授 宮城 能彦

反日教育・メディアが影響
歴史・文化に誇り持てる授業を

宮城 能彦

沖縄大学教授 宮城 能彦

 私は日本人であることに誇りを持っている。1972年に沖縄が日本に復帰してほんとうに良かった。小学6年生だった。

 ところが、日本復帰を否定する人たちが沖縄のメディアや大学に少なくない。そういう人たちは国旗を掲揚することや国歌を斉唱することすら否定してしまう。さらには、自衛隊の存在を否定し、国防のための自衛隊配置にまで反対する。とても残念でならない。

 今回のアメリカ大統領選挙ではいまだに混乱が続いているが、共和党支持者も民主党支持者もどちらも、星条旗を掲げ、どちらもアメリカのためにと必死に運動している。一部の争乱的な状況はともかくとして、これはとても羨(うらや)ましい光景である。

復帰前はまともな教育

 中学高校とほぼ「反日的な教育」を学校で受けてきた。しかしその私がなぜ今、日本人としての誇りを持っているのか。

 その基礎は、沖縄が復帰する前に小学生の時に受けてきた教育にある。復帰前の沖縄の教育を一言で言えば、「日本人としての教育」であった。「君たちは日本人なんだ。日本人としての誇りを持て」と教えられ、米軍政府によって日の丸の掲揚が家庭でも公共の場でも認められた後は、教職員組合が学校で日の丸を販売していたのだ。そして、祝祭日には多くの家庭の門や玄関には日の丸が翻っていた。

 沖縄の教員が反日的な教育をするようになったのは復帰後のことだ。

 復帰直後、中学生になった私たちが困惑したのは、「日の丸は戦争の旗だから揚げてはいけない」「君が代を歌ってはいけない」という先生たちの指導だった。まるで、終戦直後の「墨塗り教科書」のようなことを私たちは体験したのである。

 しかし、中学高校と進むにつれて次第に反日的な雰囲気に慣れていき、国旗を掲げる家庭はほとんどなくなり、学校の入学式・卒業式でも国歌は流れず、流れても誰も起立する者はいなくなってしまった。

 先日、若い人たちと気軽に議論できる機会があった。その時私は、それまで抱いていた疑問をストレートに彼らにぶつけてみた。

 私たちの世代は、テレビで見る東京と沖縄の現実にあまりにもギャップあり、その経済格差にコンプレックスを抱いていた。皮肉なことに日本人としての誇りを持とうとするほどそれは強くなってしまった。しかし今は違う。テレビどころか同じようにスマホを持ち、SNS(インターネット交流サイト)を使いこなしている。少なくとも情報格差はほとんどないはずだ。東京と沖縄の県民所得の差は大きいけれど、私たちの頃と比べれば誤差程度でしかない。しかし、今の沖縄の若者はむしろ私たちよりコンプレックスが強いような気がする。それはなぜなのか?

 すると、県外出身の若者が「私が県外の出身というだけで、『自分たちより頭がいいんでしょう』みたいな扱いを受けることにずっと違和感を覚えています」と答え、私の感覚を裏付けた感じとなった。

 地方出身者が都会の人にコンプレックスを抱いてしまうのは、別に珍しいことではない。しかし、沖縄県民が抱くそのコンプレックスはそれよりももっと根が深いような気がするのだ。

 議論の中で、一人の沖縄出身の若者が答えた。

 「子供の頃から、基地などの沖縄問題のことを毎日のように考えさせられてきました。最近は子供の貧困問題。沖縄は深刻な問題を抱えた県なのだと刷り込まれてきた。そういった環境で、自信を持てというのは難しいのではないでしょうか」

 彼のその発想自体が、子供の貧困その他を全て米軍基地のせいにする沖縄の一部のメディアや知識人の影響を受けているのだと思う。しかし、その発言を聞いた私には何か腑(ふ)に落ちるものがあった。

誇れる現実つくる必要

 確かに児童生徒にさまざまな社会問題を考えさせる授業は多い。しかし、それには副作用もあるのではないか。私たち大人はもっと、子供たちが自分たちの歴史や文化に誇りを持てるような授業や機会を与える必要がある。

 もちろんそれは、形式的教条的なものではない。「誇りを持て」と言っても意味はない。誇りを持てるような現実をつくる努力が必要だと私は思う。

(みやぎ・よしひこ)