学生の就活に教員も関与を
企業の担当者と情報交換
信頼関係繋がり変わる社会
大学生の就職状況は相変わらず好調である。私が所属する大学の4年生も次から次へと内定をもらっている。しかし、手放しで喜べないこともある。それは、優秀で明るく社交性もあり向上心が高い学生ほどなかなか就職が決まらないということだ。
ここでいう優秀とは大学の成績だけではない。あくまでも私の評価ではあるが、物事を自分の言葉で考え決断でき、機転が利く頭のいい学生のことである。もちろん知的好奇心があって知識も豊富。「一を聞いて十を知る」タイプの学生のことで、私のゼミには毎年1~2人そういう学生がおり、ここ数年は女子学生が圧倒的に多い。
彼ら彼女らは向上心が高いので、より競争率の高い仕事や会社を目指しているということも、なかなか就職が決まらない要因の一つかもしれない。私には確かに身贔屓(みびいき)もあるが、採用する側はもう少しよく見てくれないかと思うのが本音である。筆記試験問題の内容を見ても何のための試験なのかがよく分からないことが多い。
人の適性を判断することは難しい。私も教員採用の担当になることも多く、毎年いつも頭を悩ませている。採用された人物が果たして本当にあの時面接した人物と同じ人なのだろうかと思うこともある。私が所属する大学の教員は任期制をとっておらず、一度採用されればどんなに分かりにくい授業をしても、全く研究をしなくても、セクハラや酷いパワハラ、アカハラさえしなければ65歳の定年まで働くことができるので、採用人事はかなり重要である。しかし、採用の際に政治的な力学が働くこともないわけではない。私が高い評価をした人物が採用されないことも多い。
企業の方々からすれば私のような世間知らずな大学教員に何が分るかと思われるであろうが、レベルの違いはあるが採用の難しさを少しは分かっているつもりではある。
ここからは私の夢想である。
企業の採用担当者と大学教員との腹を割った情報交換の場ができないだろうか。ただし、大学の教員が自分のゼミの学生のことを必ずしもよく知っているとは限らない。学部学科の専門性にもよるが、多くの場合、教員の教育方針やパーソナリティーによるところが多い。だからそれを制度化することはかなり困難であろう。
それでも、採用担当者が私のところに相談に来てくれれば、ほぼ希望に近い学生を推薦することができるのに、と妄想することがある。もちろん、私には企業にも学生にも責任が生じる。極端に言えば「安い賃金で優秀な学生を」というのに応えるわけにはいかず、能力を水増しして推薦することもできない。推薦した学生が使い物にならない場合は私が責任を持つし、その前に卒業・就職後も企業と相談しながら一緒に育てていく。
私は卒業式にゼミの学生に対して、冗談めいて「家電はせいぜい5年から10年保証ですが、私のアフターケアは一生です」と言って送り出すが、これは本気であり、実際に卒業後何年たっても気軽に研究室に相談に来てくれる。職場での人間関係の悩みが最も多く、転職の相談から婚約者に会ってほしいというものまである。
情報通信技術(ICT)の発達や人工頭脳(AI)の導入。外国人労働者の受け入れ。少子化による人口の減少と超高齢化社会。今や日本は世界に先駆けた多くの問題を抱え、自らを課題先進国と呼ぶようにもなった。大学も企業も変わらなければならないことは認識しているが、何をどうしていいのか暗中模索が続くだろう。
しかし、私には一つの確信がある。それは、人と人がじかに向き合って話すことと、お互いに生きて生活している人間としてリスペクトできる関係を築いていくことが、より重要になっていくことである。
私は共同体の研究が本職なので、共同体の持つ窮屈さ強圧性、落ちこぼれは救うが出る杭(くい)は打つ体質はよく理解している。濃密過ぎ人間関係は、「助け合い」もするが「足の引っ張り合い」もする。しかし、それらを差し引いてもムラの共同体の持つ可能性は大きい。共同体の持つ良さを前面に出し、マイナスをできるだけ小さくする方法はあると私は考えている。
その一方で長年のインターネット交流サイト(SNS)のヘビーユーザーであり、ネットの便利さを享受しつつ、その陰湿さもある程度理解しているつもりである。「炎上」とまではいかなかったが、一時期ネットでかなり叩(たた)かれたこともある。
共同体的な社会とネット社会の「ある程度の」いい所取りは可能ではないか。情報関係の企業はとっくにそういうことを考えているだろうが、私は共同体や大学教育の現場からその可能性を探り続けている。それらを一言で表現すると月並みな言葉にはなってしまうが、やはりそれは「信頼関係」をどう構築するかということになる。
私が夢想するのは、大学の教師と学生の信頼関係を大学の教師と企業の人事担当者との信頼関係に繋(つな)げていくということである。そしてそこから繋がっていく信頼のネットワークで社会が変わっていくことである。たまには夢を見てみたいと思う。
(みやぎ・よしひこ)






