乳幼児教育支援の在り方見直しを
麗澤大学大学院特任教授 高橋 史朗
「子育ての質」高める政策に
「非認知能力」「共感性」を育め
菅総理は「自助、共助、公助、そして絆」という政策理念を掲げたが、自民党が昭和54年に「研修叢書(そうしょ)」として出版した『日本型福祉社会』と『家庭基盤の充実』が提示した政策課題について改めて見直す必要があるのではないか。
先進国においては、すでに教育の重点が就学後から就学前にシフトしてきており、就学前の子供たちの家庭の内と外の育ちをいかに支援するかが重要な政策課題となっている。
本末転倒の無償化政策
乳幼児教育の重要性については、「ルーマニアの棄てられた子供たち」を対象にした研究プロジェクトによって、アタッチメント(愛着)を剥奪されることによって、社会性の発達に長期的なダメージを受けることが判明した。
また、シカゴ大学のヘックマン教授が、幼稚園に行けないアフリカ系アメリカ人の貧困層の子供を3歳から2年間、幼稚園で非認知能力を育てるという介入を行ったところ、その後の人生において、給料、持ち家率、犯罪率等に大きな差が見られたことが長期追跡調査によって明らかになった。
このように剥奪研究と介入研究の長期追跡調査によって、乳幼児期に十分なアタッチメント(愛着)によって、「非認知能力」「共感性」を育むことの重要性が世界的に注目されている。生涯にわたる心身の健康、社会的成功や幸福のためには、自尊心・自制心・自立心や共感、思いやり、道徳性や規範意識等の「自己と社会性」に関わる心を育てることが大切である。
経済協力開発機構(OECD)によれば、「非認知能力」とは、①目標の達成(忍耐力・自己抑制・目標への情熱)②他者との協働(社交性・敬意・思いやり)③情動の制御(自尊心・楽観性・自信)―であり、ヘックマン教授は「その発達は家庭環境によって左右され」「子育ての質を高めることによって成果が導かれる」と指摘している。
慶応大学の前野隆司教授は、幸福度を上げる「幸せの四因子」は、「やってみよう」「ありがとう」「なんとかなる」「あなたらしく」であると指摘しているが、「目標への情熱」「楽観性」と合致している点が注目される。
我が国の「幼児教育無償化」政策は、親に対する経済支援策にすぎず、幼少期の非認知能力の発達を保障する「子育ての質」の向上策が欠落している。「子供の最善の利益」を保障するという教育の本質論が抜け落ちていることは、「人づくり」の名に値しない浅薄な政策といわざるを得ない。
「無償化」は「人づくり」の手段にすぎないにもかかわらず、「人づくり」の目的が教育の原点を踏まえていないために、「何のために、誰に、何を支援するのか」という「自助、共助、公助」政策の基本が曖昧になり、本末転倒になっているのである。
ちなみに、前述した『日本型福祉社会』は、「人間を利己的にし、卑しくするようなルールや制度は作ってはならない」「何かをタダで供給することにすれば、人々はそれを当てにして依存心を起こすが、悪いのはこの『甘えの構造』だけではない。そこからは『堕落の構造』が発生する」と警告している。
「子育ての質」を高めるためには、脳科学等の科学的知見に基づく「非認知能力を育む子育て」の「積極的な普及啓発を図り、今後の子育て支援に活用する」(教育再生会議第2次報告)必要がある。
9月から学会を代表する講師陣を招いて、「脳科学等の科学的知見に基づく家庭・道徳教育研究会」を毎月開催しているが、脳科学等の最新の知見によって、道徳性の資質・能力である「道徳的判断力」は、他者の感情を想像する「認知的共感」に近く、「道徳的心情」は、他者の感情を自分のことのように感じる「情動的(感情的)共感」に近い概念であることが判明した。
道徳科の目標再構成を
この二つの共感性を発達段階に応じてバランスよく育て、道徳性のもう一つの資質・能力である「道徳的実践意欲と態度」につなげることが、今後の道徳教育の課題といえる。脳神経倫理学・認知心理学等の科学的知見に基づいて道徳性の三つの資質・能力の関係を明らかにして、次期学習指導要領の改訂に向けて、道徳科の目標を再構成する必要がある。
詳しくは、拙稿「脳科学から道徳教育を問い直す―新たな道徳教育学の樹立を目指して(1)」(『モラロジー研究』84号、令和元年)を参照されたい。
(たかはし・しろう)