「伏魔殿」と化す文部科学省

麗澤大学大学院特任教授 高橋 史朗

歴史分野の学習目標軽視
偏向した「近年の学説」理由に

高橋 史朗

麗澤大学大学院特任教授 高橋 史朗

 平成29年3月に告示された新学習指導要領において、育成を目指す資質・能力の柱を、①知識及び技能の習得②思考力、判断力、表現力等の育成③学びに向かう力、人間性等の涵養(かんよう)―とした。

 この改訂は、学力の構造を根本的に見直し、「何を知っているか」から「何を理解しているか」、「個別の知識、技能」から「生きて働く知識、技能」への転換などを目指したものである。

本末転倒の教科書検定

 この改訂の根拠となったのは、平成27年8月26日の教育課程企画特別部会の次のような論点整理である。「まずは学習する子どもの視点に立ち、教育課程全体や各教科等の学びを通じて『何ができるようになるのか』という視点から、育成すべき資質・能力を整理する必要がある。その上で、整理された資質・能力を育成するために『何を学ぶのか』という、必要な指導内容などを検討し、その内容を『どのように学ぶのか』という、子供たちの具体的な学びの姿を考えながら構成していく必要がある」

 つまり「何ができるようになるのか」(思考力・判断力・表現力等)という目標論=学力論を上位に置き、「何を学ぶのか」という教育内容論と「どのように学ぶのか」という教育方法論を、その目的実現の手段として位置付ける「学力構造の転換」を図ったわけである。

 ところが、その結果、「我が国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を育てる」という平成20年の学習指導要領の歴史的分野の目標が、平成29年の改訂で、目標一「諸資料から歴史に関するさまざまな情報を効果的に調べまとめる技能を身に付けるようにする」、目標三「多面的・多角的な考察や深い理解を通して涵養される我が国の歴史に対する愛情、国民としての自覚…」と改められ、「我が国の歴史に対する愛情」「国民としての自覚を育てる」という歴史的分野の本来の目標がアクティブ・ラーニングや「多面的・多角的考察」の名の下に、軽視または矮小化(わいしょうか)されるという結果を招き、聖徳太子や坂本龍馬、神道や神話などの記述が「近年の学説状況を踏まえていない」等の理由で一発不合格になるという事態を招いたのである。

 例えば、文部科学省の「自由社・不合格理由に対する反論書」に対して文科省が「否」とした理由の第一は、「新学習指導要領の実施に伴い、諸資料の読み取りが重視されるようになったことを踏まえた指摘である」、第二に、「近年の学説状況を踏まえた記述になっていない」と書かれていることがそのことを物語っている。

 前述したように、平成29年の改訂で、「諸資料から歴史に関するさまざまな情報を効果的に調べまとめる技能を身に付けるようにする」ことを、歴史分野の目標の第一に掲げた影響がこのような検定結果につながった点に注目する必要がある。本末転倒も甚だしいと言わざるを得ない。

 平成28年12月の文科省の中央教育審議会は「歴史用語を整理すること」と答申したが、これをリードしたのは中教審委員で『未完の占領改革』の著者である「高大連携歴史教育研究会」の油井大三郎会長で、同研究会が提言した「歴史用語の精選」案には、吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作、「シベリア出兵」等が含まれ、「従軍慰安婦」「南京大虐殺」等「日本軍の加害性」を強調する歴史用語が重視された。ちなみに、同研究会副会長の君島和彦東京学芸大名誉教授は、朝鮮日報のインタビューで「竹島は韓国領だという主張が正しい」と答えた反日学者である。

反日学者と審議会癒着

 ガラパゴス化(世界標準からかけ離れている)が深刻な日本の歴史学会や反日学者と癒着した文科省の審議会(教科用図書検定調査審議会を含む)や教科書調査官が水戸黄門の印籠のように振りかざす「近年の学説状況」そのものが偏向し、「日本を取り戻す」と宣言した安倍政権下の文科省が「伏魔殿」と化している現実に真正面から取り組まねば「教育再生」などできるはずがない。かつては外務省OBが教科用図書検定調査審議会に不当に働き掛け、外務省が「伏魔殿」と化していたが、今や文科省の屋台骨が侵食されつつあると言える。

(たかはし・しろう)