大学でタブー視される軍事研究
沖縄大学教授 宮城 能彦
教養科目に「軍事学」を
戦争回避のため必要不可欠
新型コロナウイルスが猛威を振るっている。
私が住む沖縄県では、3日17時現在の県保健医療部による日報によると、感染者数11人で既にうち3人の入院勧告が解除されている。
新型コロナウイルスについての研究が早く進むことを願うばかりである。
ところで、妙な話になってしまうが、「新型コロナウイルスの感染拡大を許してはならず、したがって、その名を口にすることも、研究することも禁止すべきだ」と主張する人はいないだろう。
議論の余地ある「声明」
しかし、日本には、「〇〇は絶対に許してはならず、したがって、その名を口にすることも、研究することも禁止すべきだ」という主張が通ってしまう分野がある。
そう、〇〇に入る言葉は、「戦争」あるいは「軍事」である。
大学における軍事研究の是非については、2017年に大きな論争になった。日本学術会議は「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明」を行ったが、それに前後して多くの大学が同様な声明を発表している。
もちろん、単純な話ではない。
NHKの番組に「フランケンシュタインの誘惑―科学史闇の事件簿」というものがある。人体実験や原爆・水爆開発秘話、ナチスによる優生学など、科学の「魔性」を扱った番組である。科学は人類に夢を見させ、豊かさを実現させる一方で、禁断の果実を手に入れる手段でもある。多くの人はそのこと自体に異論はないと思う。
さて、「軍事学」は「戦争を目的とする科学の研究」なのであろうか。多くの大学が「基本方針」を発表。その多くが京都大学のように「本学における研究活動は、社会の安寧と人類の幸福、平和へ貢献することを目的とするものであり、それらを脅かすことに繋がる軍事研究は、これを行わないこととします」と多少曖昧な表現になったが、法政大学の声明は比較的分かりやすかった。
「真理の探究に努め、国際平和と持続可能な地球社会の構築に寄与する活動を行うものとし、軍事研究や人権抑圧等人類の福祉に反する活動は、これを行わない」「ここでいう軍事研究とは、武器・防衛装備品の開発、またはそれへの転用を目的とした研究を指し、政治学、平和学等における戦争や軍事を対象にした研究までを含むものではない」と明記したのである。
しかし、それでも、議論の余地は大いにある。例えば、現在自衛隊の存在や役割は国民に圧倒的に支持されているが、専守防衛に特化した「武器・防衛装備品の開発研究」は是か非か等である。
私は軍事に関しては全くの素人なので、そのことについて意見ができるほどの知見はない。しかし、「日本の中に、そういう議論をすること自体が良くないことであるという空気があることが問題だ」ということはできる。
「軍事学とは何か?」当時はそれを深めるチャンスであったのにもかかわらず、多くの人は、単純に「日本の大学で軍事研究をすることを許してはならない」と思っただけだと思う。これでは、「敵性語を話してはならない」とした戦時中と同じである。
新型ウイルス対策のための研究は不可欠である。それと同様に、戦争を回避するため、平和を維持するためには、軍事学は必要不可欠である。しかし一般的には、相変わらずそれはタブーのままである。防衛大学校以外に「軍事学」の専攻を置くのは無理なのだろうか。せめて教養科目(共通科目)に「軍事学」をおけないのであろうか。
事実を事実として把握
先日、軍事アナリスト小川和久氏の『フテンマ戦記―基地返還が迷走し続ける本当の理由―』が出版された。リアルで示唆に富む著作である。軍事学を学ぶ必要性を改めて考えさせられもした。思想や立場の左右に関係なく「事実を事実として捉える」ためにも必読の書だと思う。
(みやぎ・よしひこ)