歪められた沖縄戦史 慶良間諸島「集団自決」の真実 rss

意味のない並列表記 、「集団自決」は「玉砕」

歪められた沖縄戦史 慶良間諸島「集団自決」の真実上原 正稔 (24)  今、目の前に分厚い本がある。昨年3月発行の『沖縄県史(新版)沖縄戦』だ。翁長雄志知事(当時)は発刊の言葉で「本書が平和の創造への一助となることを期待…

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罪重い犠牲者数捏造、住民死者は最大5万5000人

歪められた沖縄戦史 慶良間諸島「集団自決」の真実上原 正稔 (23)  「平和の礎(いしじ)」の隠された真相については初めて明らかにした。そこに刻印された沖縄出身者のほとんどが沖縄戦とは関係ないことも理解できたものと思う…

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沖縄戦戦没者 三つの数字 水増しされた住民死者数

歪められた沖縄戦史 慶良間諸島「集団自決」の真実上原 正稔 (22)  沖縄戦の「戦没者総数」として三つの数字が存在する。①1968年、琉球政府が発表した「20万656人」②大田昌秀氏が『沖縄戦とは何か』(85年版)で発…

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デタラメな調査で大広告、生存者も戦没者名簿に

歪められた沖縄戦史 慶良間諸島「集団自決」の真実上原 正稔 (21)  1995年1月16日、前代未聞の大広告が沖縄タイムスと琉球新報に出た。48ページにわたる「平和の礎(いしじ)に刻銘する沖縄県出身戦没者名簿」の広告だ…

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「平和賞」候補への推薦、無知な「文化人」の売名行為

歪められた沖縄戦史 慶良間諸島「集団自決」の真実上原 正稔 (20)  1992年の暮れは沖縄知事公室と県警本部は異常な緊張に包まれていた。ついに大田昌秀知事は「上原の告訴状を取り下げさせろ。そうでなければ、4月末に来沖…

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告訴取り下げ迫られる、天皇陛下警備と引き換えに

歪められた沖縄戦史 慶良間諸島「集団自決」の真実上原 正稔 (19)  1992年12月県議会で西田健次郎議員は代表質問に立ち、「上原正稔氏が大田昌秀県知事を被告人として暴行ならびに侮辱罪で県警本部に告訴した旨、(新里英…

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酔った知事が襲撃、「人間失格、心の底から軽蔑」

歪められた沖縄戦史 慶良間諸島「集団自決」の真実上原 正稔 (18)  事件は1992年9月13日に起きた。戦後、琉球政府の民生官を務めたロバート・フィアリー氏を歓迎する戦後史シンポジウムのパーティーが那覇市内のホテルで…

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裏切った有識者たち、知事の権力におもねる

歪められた沖縄戦史 慶良間諸島「集団自決」の真実上原 正稔 (17)  偽善者には2種類がある。「自分があくどいことをやっていることを知りながら、赤信号、みんなで渡れば恐くない」とふんぞり返る偽善者。「自分があくどいこと…

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奪われるメモリアル構想、大田知事「蝋人形を作れ」

歪められた沖縄戦史 慶良間諸島「集団自決」の真実上原 正稔 (16)  1991年3月、筆者は具志頭村の上原文一氏、そして屋宜宣純村長と話を詰めた。その時、村長は「このメモリアル建立構想は全県的なものになるので、大田昌秀…

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立ちはだかる反戦平和、地元紙がメモリアル構想報道

歪められた沖縄戦史 慶良間諸島「集団自決」の真実上原 正稔 (15)  1990年にはロジャー・ピノー氏から海軍兵士戦死者約5000人の名簿が送られてきた。6月21日、慰霊の日の前に沖縄戦メモリアル建立の構想を友人たちと…

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名簿探しに奔走、敵味方なく戦没者を刻銘

歪められた沖縄戦史 慶良間諸島「集団自決」の真実上原 正稔 (14)  筆者は自分が始めた1フィート運動という「世のため人のために役立つ」仕事を奪われ、しばらく怒り心頭に発し、放心していた。振り返ってみると、平和運動家を…

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沖縄戦メモリアル構想、反戦平和に乗っ取られる

歪められた沖縄戦史 慶良間諸島「集団自決」の真実上原 正稔 (13)  「平和の礎(いしじ)」をインターネットで検索してみよう。「沖縄県平和祈念公園」には敵味方関係なく、沖縄戦の死者全て24万1468人が刻銘されているこ…

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マスコミと自作自演、大田元知事にノーベル平和賞?

歪められた沖縄戦史 慶良間諸島「集団自決」の真実上原 正稔 (12)  話は核心に迫ったところだが、ここからは副題の「慶良間諸島の“集団自決”の真相」をしばらく棚上げにして、6月23日の慰霊の日に全県民が祈る「平和の礎(…

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梅澤隊長は軍命出さず、母の嘘の証言を娘が覆す

歪められた沖縄戦史 慶良間諸島「集団自決」の真実上原 正稔 (11)  『母の遺言』はこう締めくくる。  <1980年、母は梅澤元隊長と那覇市内で再会した。本土の週刊誌に梅澤隊長が自決を命令したという記事が出て以来、彼の…

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自決者は“戦争協力者”、「援護法」を意識した母

歪められた沖縄戦史 慶良間諸島「集団自決」の真実上原 正稔 (10)  「援護法とのはざまで」の小見出しを付けた『母の遺言』を紹介しよう。  <母との話は1950年代にさかのぼった。沖縄への「援護法」(正確には戦傷病者戦…

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宮城晴美氏のコラム 集団自決の重要証言含む

歪められた沖縄戦史 慶良間諸島「集団自決」の真実上原 正稔 (9)  コラム『母の遺言―きり取られた“自決命令”』(上、中、下)の骨子をここに紹介しよう。重要な証言が含まれているので、かなり詳しく紹介することをお許し願い…

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罪をかぶった赤松隊長、援護法適用に「軍命」不可欠

歪められた沖縄戦史 慶良間諸島「集団自決」の真実上原 正稔 (8)  筆者は、グレン・シアレスさんの手記を1996年6月1日から13回シリーズ「沖縄戦ショウダウン」として沖縄の新聞で発表した。ショウダウンとはポーカーで賭…

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天皇のために死ぬ、言葉に尽くし得ぬ情景

歪められた沖縄戦史 慶良間諸島「集団自決」の真実上原 正稔 (7)  3月28日小雨のち晴れ、夜小雨。夜間、敵情視察のため各地に散っていた部隊が夜明けとともに北山(にしやま)急造陣地に帰隊。道案内の防衛隊員は家族と共に手…

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パニックに陥る住民、玉砕の連絡が飛び交う

歪められた沖縄戦史 慶良間諸島「集団自決」の真実上原 正稔 (6)  渡嘉敷村落の西側の恩納ガーラには古波蔵惟好村長、真喜屋実意先生(前村長)、徳平郵便局長ら村の有力者をはじめ数百人が集まった。  1944年2月22日、…

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米軍が渡嘉敷上陸、避難壕に逃げ込む住民

歪められた沖縄戦史 慶良間諸島「集団自決」の真実上原 正稔 (5)  渡嘉敷村史と沖縄県史10巻、陣中日誌からウァーラヌフールモーの惨劇を追ってみよう。  3月23日午前10時ごろ。数十機の爆撃機が渡嘉敷上空に姿を見せた…

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渡嘉敷島で聞き取り、赤松隊長への誤解解消へ

歪められた沖縄戦史 慶良間諸島「集団自決」の真実上原 正稔 (4)  1995年の春と夏、渡嘉敷島を訪ね、「集団自決」の生き残りの人々や関係者から情報を集めた。自決を生き延びた金城武徳さんに自決現場に案内してもらった。そ…

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米兵が記した惨劇、阿波連で100人以上が自決

歪められた沖縄戦史 慶良間諸島「集団自決」の真実上原 正稔 (3)  グレン・シアレス伍長は、手記でこう綴(つづ)る。  <1945年4月27日夜明け、俺たちは渡嘉敷の最南端の浜に上陸し、山の小道を登る途中で3人の日本兵…

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目撃した米兵の手記入手、名誉回復求め提訴

歪められた沖縄戦史 慶良間諸島「集団自決」の真実上原 正稔 (2)  2005年8月4日、梅澤裕さんと故赤松嘉次さんの弟の秀一さんは、住民に「集団自決」を命じていないとして大阪地裁に「名誉回復」目的で訴訟を起こした。被告…

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