意味のない並列表記 、「集団自決」は「玉砕」

歪められた沖縄戦史 慶良間諸島「集団自決」の真実
上原 正稔 (24)

 今、目の前に分厚い本がある。昨年3月発行の『沖縄県史(新版)沖縄戦』だ。翁長雄志知事(当時)は発刊の言葉で「本書が平和の創造への一助となることを期待します」と高らかに宣言している。しかしながら、書の内容は悲惨なものだ。何が悲惨か検証しよう。あり余る悲惨さの中で「集団自決」に焦点を当てて話を進めよう。

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「沖縄県史(新版)沖縄戦」

 この物語の冒頭で筆者は1950年沖縄タイムス編の『鉄の暴風―現地人による沖縄戦記』で著者の一人、伊佐(後に太田に改名)良博氏が初めて「集団自決」という言葉を使った、と語っていることを伝えた。彼はその後、大問題になる「集団自決の真相」が、曽野綾子氏の『ある神話の背景』によってコテンパンに嘘(うそ)を暴露されることになるが、真剣に曽野氏の本を検証する読者は沖縄では生まれなかった。

 例外は詩人で作家の星雅彦さんだけだ。彼は月刊誌『潮』(71年11月号)に「集団自決を追って」と題するドキュメンタリーを発表した。それは事実調査を基に「赤松嘉次さんは自決命令を出していない」とする内容で、赤松さんも同号で「私は自決を命令していない」と、これも衝撃的な内容を発表している。

 ところが今、沖縄の新聞やテレビで「集団自決」「強制集団死」という奇妙な並列言葉が氾濫(はんらん)している。『沖縄戦』の「強制された『集団自決』『強制集団死』」の節で執筆者の林博史氏は「集団自決」の「強制集団死」の定義として、「地域の住民が家族を超えたある程度の集団で、もはや死ぬしかないと信じ込ませ、あるいはその集団の意志に抗することができず、『自決』または相互に殺し合い、あるいは殺された出来事」と奇妙な説明をしている。

 「集団自決」という言葉は伊佐氏が『鉄の暴風』で使うまで存在しなかったのだ。渡嘉敷島の「集団自決」の現場は今でも第1玉砕場と呼ばれている。伊佐氏は「玉砕」という軍事用語を嫌い、「集団自決」という言葉を作り上げ、彼の想像を超えた形でその言葉が氾濫していったのだ。

 安仁屋正昭氏はそのことを知らず、「集団自決」という言葉を嫌い、「集団自死」とすべきだと主張したのが21世紀直前のことだった。この主張に飛び付いたのが石原昌家氏だった。「玉砕」という言葉を嫌い「集団自決」という言葉を生み出し、さらにそれを嫌って「集団自死」と主張された一連の流れを知らない石原氏が、「集団自決」「強制集団死」としたのだ。そして、さらにこうした事情を知らない林氏も、並列表記が絶対正しいと主張しているのだ。