全て並列表記の『新沖縄戦』、理解不能な林博史氏の説明
上原 正稔 (44)
筆者はここまで、自分の体験を基に、琉球新報、沖縄タイムスをはじめとする報道機関と報道人、学者、文化人がいかに腐敗し、沖縄戦を歪(ゆが)めてきたか、赤裸々に伝えてきたつもりだ。伝えたいことは山ほどあるが、慶良間の“住民玉砕”が終わった3月30日を最後に筆をおくことにしよう。
ここまで発表したことを整理してみよう。
筆者は膨大な量の戦争と人間の物語を発掘してきたが、最大の成果は、敵も味方も、兵士も住民も、大人も子供も、沖縄戦で亡くなった全ての人々の名を石に刻むという「沖縄戦メモリアル」構想を思いつき、大々的に発表したが、当時の大田昌秀知事や高山朝光知事公室長、石原昌家沖縄国際大学教授ら恥知らずの“文化人”に強奪されたのだ。しかも、“沖縄戦メモリアル”は“平和の礎”と名を変えているが、石に刻まれた氏名はほとんどが戦争と関係ない氏名であることに誰も気付いていない、という恐るべき実態について触れた。これも、残された5回のシリーズの中で詳しく説明したい。
今回は2017年3月発行の『沖縄県史―沖縄戦』(新沖縄戦)がいかにデタラメに編集されているか、その一端を示そう。筆者は「集団自決」という語は、『鉄の暴風』の中で、太田良博氏が創作したものであり、戦時中は全て「玉砕」と呼ばれていたと指摘したが、『新沖縄戦』の中では編集長の吉浜忍氏が「集団自決」「強制集団死」と並記したのをはじめ、全てがこの形で並記されている。この並列表記は16人の執筆者が別々のタイトルで使っている。そして、琉球新報、沖縄タイムスもこれを愛用している始末だ。
最悪の例が林博史氏だ。林氏は01年発行の『沖縄戦と民衆』の中で常識的に「軍命はなかった」としていたが、「大江・岩波」裁判の頃にはケロリと主張を変え、『新沖縄戦』では「集団自決」「強制集団死」の定義として「地域の住民が、家族を超えたある程度の集団で、もはや死ぬしかないと信じ込まされ、あるいはその集団の意志に抗することができず、『自決』または相互に殺し合い、あるいは殺された出来事」として理解しておきたい、と実に理解に苦しむ表現で定義しているのだ。
もう一人、最悪の例がある。「慶良間諸島の沖縄戦」を編集した宮城晴美氏だ、彼女は1995年、沖縄戦50周年の慰霊の日前後に「母の遺言―きり取られた自決命令」というコラムを上・中・下で出し、母初枝氏は「梅沢裕さんが自決命令を出したのではなく、その裏には援護法を適用させるため、村の指導者から厚生省の事務官に軍命があった、と証言するよう圧力を受けた」と衝撃の告白をしたのだ。筆者はその時、全ての謎が解明されたと認識したが、「軍命」を信じた多くの人々も衝撃を受けたに違いなかった。だが、彼女はこの後、このコラムには一切触れることはなく、皆の記憶から完全に消え去ったのだ。
そして今、『新沖縄戦』で素知らぬ顔で「集団自決」「強制集団死」と並列表記している。