2紙に40ページの戦死者広告 杜撰な名簿、生存者の名も

歪められた沖縄戦史 慶良間諸島「集団自決」の真実
上原 正稔 (46)

 つい先日の3月11日、筆者は沖縄県議会に陳情書を提出した。その内容は、「平和の礎(いしじ)」の発想は筆者の“沖縄戦メモリアル”の完全盗作であり、強奪されたものであること。さらに今、平和の礎に刻まれている県民の死者名は沖縄戦と関係ない自然死がほとんどであることを挙げた。これは詐欺であり、犯罪で、もう一度初めからやり直すべきだ、との陳情だ。オール沖縄の議員団に支配されている県議会はどう対応するのか。陳情書の件について詳しく検討しよう。

 2年前に発行された『沖縄県史(新沖縄戦)』のデタラメな編集についてはこれまで再三指摘してきたが、第3章第1節で、執筆者の石原昌家・平和の礎建設委員長は次のように自慢している。

 <平和の礎においては敵・味方、軍人・非軍人、加害者・被害者、国籍の区別なく、沖縄戦で死没した人々の氏名を石板に刻銘してある。(中略)戦争で自国民の戦争死没者の氏名を刻銘する碑は世界各地に存在する。だが自国兵士・住民を殺害したであろう元敵国兵士の氏名まで刻銘している事例は、おそらく世界唯一だと思われる。世界の著名な平和学者たちもその発想に驚嘆している。(中略)95年6月23日大田昌秀県知事の主要政策である平和の礎の除幕式には総理大臣、衆参院議長、最高裁長官ら三権の長が集まった。(中略)この平和の礎を着想した人たちの想像を超えて、世界に平和の発信をし続けているのが「平和の礎」の特徴であろう。>

 全く虫酸(むしず)が走る。筆者は大田氏が知事になる前の1990年6月の「慰霊の日」前日に記者会見し、「敵も味方も、住民も兵士も、大人も子供も、沖縄戦で亡くなった全ての人々の氏名を石に刻む」記念碑を沖縄戦50周年の年に建立することを発表し、琉球新報、沖縄タイムスは大々的に報道しているのだ。

 そして石原氏は重要な点について記している。沖縄出身者については県遺族連合会の強い要望で、沖縄戦に限定しないで、31年9月の満州事変以後、日中戦争、フィリピン南洋諸島の戦没者、引き揚げ船、疎開船の死者、これに加えて戦争マラリアによる死没、栄養失調死、45年9月からおおむね1年以内の戦争に起因する死者を刻銘している。

 実際、95年1月16日、沖縄2紙に40ページの大広告が出された。両紙に各3000万円の計6000万円の広告代(知事権限内)という空前絶後のものだった。それは県出身だけの“戦死者”だったが、1万9000人の氏名が市町村ごとに示されていた。しかしながら、その内容は杜撰(ずさん)極まりないもので、後日、生存者が10人以上いたことが分かったり、一緒にすべき家族も大田知事の意向でアイウエオ順にされたり、大田氏が選挙のためにゴミくずを集めるように拾い集めた名前だったのだ。

 国は15億円の援助金を支払いながらそれを忘れ、首相ら高官が慰霊の日に参列している。しかし、刻銘された氏名がデタラメであることには全く気付いていない。