自決命令の「赤松神話」、那覇市職労が捏造に加担

歪められた沖縄戦史 慶良間諸島「集団自決」の真実
上原 正稔 (40)

 曽野綾子さんは『ある神話の背景』で見事にミステリー作家ぶりを見せている。このような評価を下すのは曽野さん本人も読者の皆さんも意外に思うかもしれない。しかし、これが筆者の正直な感想だ、

 同じ頃、出版された岩波の『沖縄ノート』で大江健三郎氏が「慶良間の集団自決の責任者も、自己欺瞞と他者への瞞着を試み、人間としてそれをつぐなうには、あまりにも巨(おお)きい罪の巨魁の前で、かれはなんとか正気で生き延びたいとねがう」と、実に堅苦しい言葉で、「赤松嘉次」と「梅澤裕」を非難した。

 「集団自決」とは、「日本軍による住民虐殺」と全く同じものだから、「集団自決」は沖縄戦においては発生しなかったと暴論を吐く山口剛史琉球大准教授に『ある神話の背景』の内容について「講義」しよう。

 この書の初めに曽野さんはザレ歌を作った。「慶良間ケラケラ、阿嘉(あっか)んべ、座間味(ざまみ)やがれ、ま渡嘉敷(かしとき)」。これで読者を刺激し、実際、「沖縄をバカにしやがって」と怒った「知識人」がいた。そして赤松氏が極悪人であるとする本を次々と紹介する。中野好夫・新崎盛暉著『沖縄問題二十年』、山川泰邦著『沖縄県史8』、浦崎純著『悲劇の沖縄戦』など、選ぶのに困らない。

 そして1970年3月26日午後5時、那覇空港。赤松元大尉と旧軍人十数人が渡嘉敷島の慰霊祭に出席するためやって来た。「赤松帰れ!」「人殺し帰れ!」「お前は沖縄人を何人殺したんだ」との抗議団の怒号。那覇市職労の山田義時氏が代表して抗議文を読み上げる。「300人の住民を集団自決に追いやった責任はどうする」

 赤松元大尉はようやく口を開く。「事実は違う。集団自決の命令は下さなかった」。部下が答える。「責任というが、もし本当のことを言えば大変なことになる。いろんな人に迷惑がかかるんだ。言えない」

 新聞は伝えなかったが、現場には安里喜順元巡査、詩人作家の星雅彦氏がいた。これまで誰も指摘していなかったが、山田氏は単なる那覇市職労の職員ではない。彼は『沖縄県史10巻』で「集団自決」を命じたと赤松氏と糾弾していた主犯だ。筆者は山田氏をよく知っている。彼は「1フィート運動」の乗っ取り事件にも加担したどうしようもない男だ。

 赤松元大尉は沖縄戦史における数少ない神話的悪人となった。曽野さんの目に触れる限り、彼は完璧に悪玉であった。

 悪魔の申し子赤松元大尉と仲間たちが沖縄を去った時、全てが終わったのではなく、全てが始まった。神話は神話として深くて暗い闇の奥にある限り、じっと動かない。神話が明るみに出ると、神話を目撃した人々は恐れをなしてたじろぐのだ。しかし、曽野綾子という人間は違った。彼女は悪においても善においても完璧なものはない、ということをその宗教を通して確信していた。赤松神話は、まさにその暗い穴から飛び出したのだ。