幻想の普天間5年以内運用停止
エルドリッヂ研究所代表・政治学博士 ロバート・D・エルドリッヂ
辺野古以外にも選択肢
日本政府に欠ける「誠実さ」
24日の「辺野古米軍基地建設のための埋立ての賛否を問う県民投票」(沖縄県民投票)を3日後に控え、同県のみならず、全国、全世界の注目が集まっている。
これは、日本国内で基地をめぐる住民投票としては5回目であり、沖縄県内では4回目だ。そのうち三つは、米軍の基地に関するものだ。一つは自衛隊に関するもの。2015年2月、日本最西端の島の与那国島で実施された陸上自衛隊の沿岸監視部隊の誘致をめぐる投票で、容認派が圧勝した。
以前、18年8月29日付の本紙インタビュー(「辺野古移設 敢えて『県民投票』利用を」)で、当時まだ議論されている県民投票の実施をなぜ支持しているのかを説明した。普天間飛行場の沖縄本島北部への移設に賛成する人々にとって大きなチャンスとして捉えるべきだと、この問題を23年前から研究している歴史家・政治学者として提言した。しかし、案の定、その対応をめぐって混乱が続き、結局、容認派は対応できないまま、半年を失った。
今週、沖縄関係でもう一つの重要なことがある。それは、日本政府が仲井眞弘多県知事(当時)に対して「普天間の5年以内の運用停止」を約束した日からちょうど5年が経ったことだ。
仲井眞知事は、日米両政府が合意している条件付きの県内移設の一環としての辺野古移設工事の承認(13年12月)の代わりに、首相官邸での「沖縄政策協議会」において知事が要請。2カ月後の翌14年2月18日(「普天間飛行場負担軽減推進会議」)で安倍晋三総理が、「政府としてできることは全て行う」と約束した。さらに、4月半ばの同作業部会で、運用停止期限を19年2月との方針が確認された。つまり、今月17日がその期日に当たる。
もともと、この約束はおかしい。宜野湾市の高台にあり、2740㍍の戦略的な滑走路を誇る国連軍の後方施設でもある普天間の機能は、米軍(台湾海峡やインド太平洋全体の有事)や国連軍(朝鮮半島の有事)だけではなく、日本を含めた周辺の有事や、津波などの被害を想定した沖縄の有事に対応できる極めて重要な施設であるため、運用停止してはならない。
当時の報道によれば、米軍は定期的に開催している日米合同委員会ですぐ難色を示した。また、「負担」という表現に対して遺憾の意を示した。
その結果、そもそも実現できない“約束”を守らなかった日本政府と沖縄県との間の関係が悪化するに違いない。「守ろうとしない約束」と批判されて当然だ。
約束実現の期限である2月17日のちょうど1週間後に沖縄県民投票が実施されるのは偶然ではない。政府が約束通り実現しなかった代わりに、県民は県内移設に対して「ノー」を示すタイミングを計ったと考えることができる。
果たして、「実現できない」とは本当か。私は、普天間の閉鎖ないし運用停止に強く反対している。だが、やろうと思えば三つの方法でできた。
一つは、既に本紙において紹介し、拙著の『オキナワ論』(新潮新書)や『だれが沖縄を殺すのか』(PHP出版)で詳細に述べているが、勝連構想という私の提言がある。普天間飛行場を含め四つの軍事機能を集約して、自衛隊の管理下に置く日米の共同使用、軍民共用の構想だ。これは建設するのに3年しかかからない。実は、14年前の05年9月に、筆者の雇用主である米海兵隊の承認を得て、元海兵太平洋軍の客員研究員で大阪大学准教授として日米両政府に提案したが、当時、防衛庁の守屋武昌事務次官らは、小泉純一郎首相に対して「辺野古以外を再検討する時間がない」と進言し、実現できなかった。もしその時、この案が採用されていたら、安倍総理のいう「悪夢の民主党政権」はなかったかもしれない。少なくとも沖縄では、勉強不足で勇気に欠けている“自称保守”の自民党は惨敗していなかったはずだ。
5年以内の運用停止には、あと二つの選択肢があった。詳細は、先日『現代ビジネス』に掲載された論文「普天間運用の期限は過ぎたが政府は何もしようとしなかった」に譲るとするが、一つは、那覇基地を米海兵隊に開放して、スクランブル(緊急発進)で大変な航空自衛隊の戦闘機を、南西諸島南部にある下地島に移転する。ここは尖閣諸島に近いから有益だ。
三つ目の方法は、普天間を防災拠点にすることだ。沖縄県の管理下に置き、米軍と共同使用する。ただし、海兵隊の航空部隊は、嘉手納基地を中心に使い、必要があれば、那覇や普天間を利用する。これは、普天間を閉鎖するということではない。日常的には使用はしないが、いざという時、いつでも使える状態に置く。
以上の議論は、在沖米軍の運用にとって全く支障がない私案であるが、日本政府からこのような提案もなければ、議論もされないことは、哲学や想像力、戦略が著しく欠けていることを意味する。一方、沖縄県からすれば、一番欠けているのが、日本政府の「誠実さ」なのではないか。











