酔った知事が襲撃、「人間失格、心の底から軽蔑」

歪められた沖縄戦史 慶良間諸島「集団自決」の真実
上原 正稔 (18)

 事件は1992年9月13日に起きた。戦後、琉球政府の民生官を務めたロバート・フィアリー氏を歓迎する戦後史シンポジウムのパーティーが那覇市内のホテルで催された。

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上原正稔氏原作マンガ「裸の王様」の一コマ

 会場には、クリステンセン在沖米総領事ら多数の沖縄の“文化人”が集まっていた。フィアリー氏と総領事に挨拶(あいさつ)を済ませ、沖縄タイムスの古参記者大山哲氏や琉球銀行調査室長の牧野浩隆氏(後の副知事)らと談笑していた。筆者の存在に気が付いた大田知事の秘書・桑高英彦氏は顔色を変えて、会場から出ていった。

 突然、会場の奥から顔を上気させ、目をつり上げ、恐ろしい形相をした酒乱男が、筆者に向かって「おい、上原、お前は県議会でよくも俺の悪口を言ったな」と叫びながらつかみかかり、その右手で筆者の脇腹に拳をぶつけ、組んずほぐれつの大喧嘩(けんか)が始まった。その男が大田知事だった。

 会場の“文化人”らは呆気(あっけ)にとられ、仰天している。誰も知事を止める者はいない。やがて知事の罵声を聞いた宮城悦二郎氏が青い顔をして駆け付けてきて、知事を押さえようとするが、キレた知事を押さえることができない。3人がかりでようやく押さえ付けたが、知事は「誰がアイツを入れたんだ」とわめいている。

 何という醜態だ。筆者は怒りが込み上げて、「知事たる者がなんだ。貴様は知事(チジ)じゃないか。沖縄の恥(ハジ)だ。知事を辞めろ」と叫んで、憤然として会場を出ようとした。出口には20人ほどの琉球大学の女子学生が「送り出し」の役で並んでいたが、皆、茫然(ぼうぜん)としている。泣いている少女もいる。筆者はそこで、われに返り、惨劇の場を後にした。

 しかし、この「事件」は一行も報道されることはなかった。

 大田知事の言う「県議会で上原(筆者)が知事の悪口を言った」の真相は次の通りだ。

 筆者は事件の1年前の県議会に「筆者が提唱した『沖縄戦メモリアル』を知事が剽窃(ひょうせつ)(盗作のこと)しているので、やめさせてもらいたい」と陳情書を出した。91年10月29日、文教委員会は聴聞会を開き、筆者は2時間にわたり証言した。

 最後に、委員の一人から「大田知事を今、どう思うか」と質問があり、筆者は率直に言った。「大田知事は人間失格であり、ぼくは心の底から軽蔑する」。県議会でいかなる知事も一市民からこのような侮蔑の言葉を投げ掛けられたことはないだろう。だが、裸の王様の行列を見て、「あっ、王様は裸だ」と言ったにすぎない。

 もちろん、問題はこれで終わらなかった。