天皇のために死ぬ、言葉に尽くし得ぬ情景


集団自決の碑

歪められた沖縄戦史 慶良間諸島「集団自決」の真実
上原 正稔 (7)

 3月28日小雨のち晴れ、夜小雨。夜間、敵情視察のため各地に散っていた部隊が夜明けとともに北山(にしやま)急造陣地に帰隊。道案内の防衛隊員は家族と共に手榴弾(しゅりゅうだん)で自決。このような自決が2、3件既に始まっていた。


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