罪重い犠牲者数捏造、住民死者は最大5万5000人
上原 正稔 (23)
「平和の礎(いしじ)」の隠された真相については初めて明らかにした。そこに刻印された沖縄出身者のほとんどが沖縄戦とは関係ないことも理解できたものと思う。それでは、沖縄戦で一体何人の沖縄住民が死んだのか、について調べよう。
実はその基本となる数字は既に出ているのだ。それは前回に述べた1968年琉球政府発表の全戦没者20万656人の中の戦闘協力者、そして大田昌秀著『沖縄戦とは何か』に現れる「戦闘協力者」5万5246人だ。
20万656人という数字の中の沖縄人戦没者は44年2月22日の臨時国勢調査の沖縄本島人口49万2128人から46年1月15日の同人口32万6625人を差し引いた16万5503人を沖縄住民戦没者数とする実に乱暴なものだった。そして、臨時国勢調査の記録は米軍政府の手に渡ったが、誰も気付く者はいなかった。
筆者は84年、米議会図書館でコピーを入手した。今でも沖縄戦研究者も機関もその大切な記録を入手していない始末だ。詳細は拙著『沖縄戦トップシークレット』の最終章「死者の数を膨らませたのは誰か」で説明したように、数学的誤謬(ごびゅう)を重ねて作られた数字が琉球政府発表の20万656人だ。
大田氏が発表した25万6656人はさらにひどい。15万という彼が考える沖縄住民戦没者数に合わせるため9万4754人という一般住民戦没者数を作り出している。琉球政府発表の9万4000人も大田氏の9万4754人も何の意味も持たない数字だ。
軍人軍属、防衛隊も一般住民も全て5万5246人の戦闘協力者の中に含まれているのだ。「戦闘協力者」とは、あの援護法の制定の過程で厚生省が作り出したもので、防衛隊、学徒兵、一般住民も含まれる。援護法は52年制定され、翌年沖縄にも適用されるようになった。57年、詳細な適用基準が決められ、軍の命令による自決ということであれば、援護金が支給されることになり、嘘(うそ)をついてでも援護申請する者が出てきた。だから、5万5000人という受給者は上限と見るべきだろう。
デタラメな数字を並べて沖縄戦の住民戦没者数の数字をごまかし、県警本部を脅迫した大田氏と高山朝光知事公室長や、石原昌家氏ら「悪徳文化人」の責任は限りなく重い。
そして、慰霊の日に「平和の礎」の事情も知らず、国の政治家、役人の面々は当たり前のように参拝を続けている。本当に情けない。来年からの慰霊の日には、「平和の礎」の恐るべき真相をしっかり把握し、愚の骨頂を繰り返してはならない。






