「平和賞」候補への推薦、無知な「文化人」の売名行為

歪められた沖縄戦史 慶良間諸島「集団自決」の真実
上原 正稔 (20)

 1992年の暮れは沖縄知事公室と県警本部は異常な緊張に包まれていた。ついに大田昌秀知事は「上原の告訴状を取り下げさせろ。そうでなければ、4月末に来沖予定の天皇皇后両陛下の警備費用は絶対に出さん」と高山朝光知事公室長を通して迫ってきた。やむなく、佐野智則県警本部長は那覇署のA警部補らを呼び出し、事情を説明し、「告訴状を何とか取り下げてくれないか」と頼んだ。大田知事は「予算計上」という知事権限を利用し、警察を脅迫していたのだ。

故翁長雄志氏

左翼文化人からノーベル平和賞に推薦された故翁長雄志氏

 こうして正月のあの日、2人の警察官は筆者に涙ながらに「告訴状」を取り下げるよう頼んできたのだ。2時間近くの説明の後、警部補は胸から「告訴状」そのものを出し、そっと筆者の前に置き、肩を落として去っていった。つまり「告訴」はなかったことになったのだ。この事件は筆者にとって痛恨の出来事だったが、2人の警察官ら真相を知る警察関係者にとっては「一生の不覚」と言える事件だった。

 その真相を今、読者に明かすには、昨年「平和の礎(いしじ)」建立の「功績」により、大田昌秀氏をノーベル平和賞候補に推薦したかと思えば、今年5月には「翁長雄志知事に平和賞を」と、オール沖縄会議共同代表の高良鉄美琉大教授ら、沖縄戦について全く無知な「文化人」が売名行為に走っていたことがある。

 先にも指摘したが、ノーベル賞の推薦者と被推薦者の氏名は50年間秘密にし、表に出してはならないという規定があり、大田氏や翁長氏らの名を発表してはならないのだ。そして、もう一つ、ノーベル平和賞に推薦された8人の中にはあの高山朝光氏の名が入っているのだ。天皇皇后両陛下の安全を人質にして、大田知事の代理として県警本部長に知事告訴状を取り下げさせた悪党がノーベル平和賞候補に取り上げられている。実に恥ずべきことだ。

 95年6月23日、「平和の礎」の除幕式が開かれたことについて、大田氏と翁長氏の御用学者となった石原昌家・平和の礎建設委員長は「除幕式には村山富市総理大臣をはじめ、衆議院議長土井たか子、最高裁判所長官草場良人という三権の長がそろって列席する県政史上初の歴史的な催しとなった」と自慢し、その後、毎年、慰霊の日には首相や閣僚が参列することになった。もちろん「平和の礎」の生みの親である筆者に対する暴虐の限りについては触れず、誰も知らない。これは実は、大田氏や翁長氏らが犯した大罪の一つにすぎない。その大罪の中の最大のことが「平和の礎」の戦没者名と戦没者の数の恐るべき欺瞞(ぎまん)だ。