沖縄戦戦没者 三つの数字 水増しされた住民死者数

歪められた沖縄戦史 慶良間諸島「集団自決」の真実
上原 正稔 (22)

 沖縄戦の「戦没者総数」として三つの数字が存在する。①1968年、琉球政府が発表した「20万656人」②大田昌秀氏が『沖縄戦とは何か』(85年版)で発表した「25万6656人」③「平和の礎(いしじ)」に刻銘された「24万1468人」(2017年度)―だ。これから、これらの数字が全て子供騙(だま)しの欺瞞(ぎまん)、いや、詐欺であることを単純明快に証明したい。

平和の礎

「平和の礎」刻銘碑に手を合わせる遺族

 ①の数字が導き出された経緯は嶋津与志こと大城将保氏の著書『沖縄戦を考える』(1983年版)に詳しい。この著書によれば、沖縄戦が始まる前の44年2月の沖縄本島の人口から46年1月の沖縄本島の人口を差し引いた「16万5503人」を全住民戦没者と推定した。戦前と戦後の本島人口は、米軍政府が調査したものであり、「沖縄本島」の人口調査結果であることに注意が必要だ。

 83年当時、教科書検定問題で名を知られるようになった家永三郎氏は「16万5503人」を沖縄住民戦没者として発表していたのだが、後日、沖縄県が沖縄本島からの疎開者数「6万2000人」を差し引いた「10万3503人」を住民戦没者数と「訂正」すると、家永氏もこの数に変更する始末だ。

 他にも細かい思い違いを重ねて、琉球政府は68年、住民戦没者数を9万4000人として公式に①「20万656人」を発表した。本土兵6万5908人、軍人軍属2万8228人、住民戦闘協力者5万5246人、一般住民3万8754人、アメリカ兵1万2520人がその内訳だ。

 ここで注意しなければならないのは、住民戦闘協力者は援護課の制定過程で既に全住民戦没者数に含まれていることだ。

 さて、大田氏は沖縄戦の全戦没者として②「25万6656人」を著書で発表している。その中で本土兵を「正規軍」、軍人軍属を「防衛隊」と呼び変えているが、数字は同じだ。大田氏は沖縄県出身戦没者として、防衛隊2万8228人、戦闘協力者5万5246人、一般住民9万4754人を挙げている。

 大田氏が発表した一般住民9万4754人とは何だろうか。からくりは単純だ。戦闘協力者と一般住民と足すとピタリと15万人。つまり、大田氏も大城氏も戦没者数を水増しし、沖縄戦の住民戦没者は3人に1人とか、4人に1人とかバカバカしい主張を繰り返ししている。それでは一体、何人の住民戦没者数が出たのか検証しよう。